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2008年3月 4日 (火)

旅での出会い

私は旅が大好き。旅先で知り合った友人が、何人かいます。

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どんな人もいつ死を迎えるか分からない・・・それは明日かもしれない。


長く医療関係の仕事をしていたせいもあり、いつもそう思っている私が、一番したいことは世界中を旅することでした。
独身貴族の長かった私は、幸いにも有休をやや長めにとることができたので、ストレス解消も兼ねて・・・これまでに30回以上は世界中を旅しています。たぶん、ごく一般的な旅行ガイドブックにある旅なら80%くらいは?クリアしていることかもしれません。

旅に出るといつもbody languageを駆使して、現地の人々とできる限りのコミュニケーションをとるように心がけています。というか、せっかく一期一会の出会いをしたのに、笑顔一つ交わさずにサヨナラするのはもったいないと思うからです。

そしていつも心をこめて笑顔で「こんにちは!」の挨拶をするのです。そんな私に、ほとんどの人は笑顔で答えてくれます。また10年ほど前からは、インスタントカメラを持参していくようにしていて、慎ましく一生懸命生きている人々の写真を撮っては、ご本人にプレゼントしてあげています。そうすると、言葉を超えた心と心のつながりが瞬時に出来上がって・・・写真を手にした彼らの喜びが、まるで自分の喜びのように感じられて、幸せなひとときを共有できるのです。

物もらいをしている小さな男の子とかおばあさんに、写したばかりの写真をプレゼントした時・・・まず自分の写真を見て飛び上がらんほど驚いて、それから顔いっぱいに喜びがあふれていた姿が忘れられません。写真は、お金とはまた違った大きな価値を持っていることがあるのです。

最近では、スリランカのゴールでの出会いが忘れられません。海岸近くの壊れそうな長屋の前を通りかかった時、そこの住人と一瞬のうちに心がつながりカメラを向けたら、あわてて家族を呼びに行きました。アジアの多くの国で、カメラはまだまだお金持ちの持ち物で、貧しい庶民にとって縁のないものです。大家族写真を手にした時の、喜びにあふれたたくさんの目、目、目!

でも・・・帰国して2年後、あの大津波が起こって、このゴールの街は直撃を受けたのです。あの海辺に住んでいた家族は、どうなってしまったのでしょう?心が痛みます。


さて・・・私は、旅先で知り合った大切な友人について、ここに少し書いてみたいと思います。

最初の友人は、初めての海外旅行中で(JALパックでヨーロッパ一周15日間)スイスからベニスへの列車の中で知り合った、オーストリア人のお爺さんです。仕事をリタイヤされて悠々自適の生活を送っていらした方。言葉はほとんど通じなくても、音楽が私とお爺さんを結びつけてくれました。私は趣味で下手くそなバイオリンを弾き、お爺さんもまた趣味でチェロを弾き、仲間と室内楽を楽しんでいらっしゃるとのことでした。

私はドイツ語ができませんので、お互いにたどたどしいフランス語で、なんとかわずかに意思を伝え合いましたが、もっぱら音楽が共通語でした。

そこで、二人でモーツアルトの40番交響曲の出だしの有名な旋律を歌ったり(お爺さんがチェロのパートを口で歌って下さり)、シューベルトの野ばらを一緒に歌ったり、とても楽しい時間を過ごしました。

その後お爺さんからは「お前のことをいつも想っているよ。私は、老人大学にも通って、いろいろ勉強をしているよ。お前に会いに日本へ行きたい」といったドイツ語の手紙が来ましたが、私自身ドイツ語が全くできないので(学生時代一年間だけ教養でやっただけで、すっかり忘れた!)文通はとても大変でした。

そのうち、いつの間にかお爺さんからの手紙が途絶えてしまいました。その後手紙を出しても、全く返事が来なくなったので・・・たぶん、ご病気かそれとも亡くなられたのかもしれません。お爺さんは一人暮らしでした。

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その次に知り合った友人は、ネパール人の女性でした。

今から30年ほど前・・・ネパール国際空港で、一見して上流社会と分かるインド系の顔立ちのひと固まりの家族を見かけました。女性たちは、みな美しい高価そうなシルクのサリーを身にまとい美人揃い。子供たちも同じくサリーをまとい、未来の美女を想像させるに十分の顔立ちばかり。私は、ついついカメラのシャッターを、何度も押していたのでした。

「あの、その写真を、後でこの住所に送って下さいません?」突然、流暢な英語を話す若く美しい20代の女性が、私の眼の前に立っていたのです。そして、それが私と彼女の出会いでした。彼女のいとこがアメリカに留学するので、親戚一同揃って見送りに来ていたそうです。ネパールの上流社会では、幼いころから英語教育がされています。

彼女は、大学で化学を教えているとのことでした。大学では英語で講義をしているし、彼女にとって英語は母国語みたいなものでしたから、苦もなく長文の英語の手紙を書いて送ってくれました。もともと英作の苦手だった私は、辞書を引き引き数日かかってやっと一通の手紙を書くわけですが・・・。そんな手紙のやり取りが、年に数回ずつ続きました。

その後、彼女の結婚、出産、ご主人とのオーストラリア留学などなどがあって、年に一回年賀状を交わすだけになっていました。ヒンズー教のお正月は1月ではないのですが、こちらに一応あわせて毎年greeting cardのやり取りをしてくれていました。

10年前くらいのことです。久しぶりに、一通の手紙が届きました。

「夫が仕事で、日本へ行きます。ネパール政府の仕事で、某日本企業と感慨事業の相談があって一カ月ほど社員寮に宿泊する予定です。一度夫を訪問してあげてほしい」という彼女からの連絡でした。

「えっ、どうしよう。英語は片言しか話せないし・・・困ったわ。

それでも何とか辞書持参で、会話ができました。そして、新宿の高層街(都庁の屋上にも上り)を案内し、掘りごたつのある古い民家風の作りのレストランで和食をご馳走し、その後ご本人の希望で池袋のビッグカメラへと一緒に行きました。ご主人は、以前は大学で地質学の教授をされていたと聞きましたが、今は政府関連のお仕事をされているようでした。当時の私の語学力では、その辺のことを詳細に聞くことができませんでした。

それからまた数年して、今度はご主人からE-mail が届きました。

「妻と二人で、日本へ行きます。大きな目的は、私が神戸で開催される国際的防災講習会に参加するためですが、妻も同行します。講習会後京都観光に行きますが、その後新幹線で東京へ行きたいと思いますので、安い宿を探して頂けますか?2泊する予定です」
との事だったので、夫と相談して我が家に泊まって頂くことに決めました。

前回来日した時に「日本とネパールでは、貨幣価値が全然違う。月収が日本円にして、1万円にも満たない」と知っていたので(それでもネパールでは、高給取りのはず)物価高の日本では、宿泊費もばかにならないと思ったからです。また、たぶん日本の庶民の生活も覗いてみたいのでは?とも、思いましたので。

東京駅の新幹線出口で待ち合わせしましたが・・・出口がたくさんあって、ちょっと焦りました。でも何とか出会うことができ、それから一緒に電車を乗り継いで、駅から5分ほど歩いて我が家へ。我が家はあまり広くないので、私たちの寝室を二人に使っていただいて、私たち夫婦は狭い和室でひっそりと眠りました。

お食事はどうしようかと悩みましたが、日本人の庶民の家庭料理を食べて頂くことにしました。おでんや稲荷ずしなら食べられるかしら?おこわは?お刺身は?お漬物は?お二人は敬虔なヒンズー教徒なので、牛肉とか決して食べてはいけないものもあるし、純粋のベジタリアンかもしれないので、お豆腐類を中心にすることにしたものの、ともかく準備段階でちょっと悩みました。

東京見学は、英語ガイドと和風ランチがついた外国人向きハトバスに、乗って頂くことにしました。その方が、合理的に東京のあちらこちらをじっくり見ることができるからです。
夜は、ご主人が、私のパソコンからネパールの息子さんにE-mail を打ちました。

「秋葉原でパソコンを買いたい」ということだったので、夫と二人で、ご夫婦を電気街へご案内しました。ランチタイムは、お二人の希望でなんと日本風カレーライスでした。たぶんネパールで毎日のように食べていらしたと思われるカレーライスが、恋しかったのかもしれません。

我が家に2泊後、東京にもう1泊したいということだったので、インターネットで探した「外国人を泊める格安の和風旅館(1泊朝食付 一人5千円)」まで、ご案内しました。上野駅に近いので、成田空港に行くのに便利な場所でした。ロビーには、数名の外国人旅行者がくつろいでいらっしゃいました。純日本式な床の間のあるお部屋で、畳の上にふとんを敷いて寝るようになっていますし、お風呂も日本風。旅館の周辺も、古い日本の町の味わいがある古い造りの家並みがあって・・・帰国の最後に、日本の伝統的な庶民の生活を体験して頂けたかもしれません。

それから3年が過ぎました。3日前にE-mailが、ご主人から届きました。E-mailは、いつもご主人からばかりです。
33日から15日まで,仕事で東京に行きます。JICAInternational Center に宿泊しますので、一度会いに来てください。日本に着いたら、あなたの自宅に電話します。今回は、ついでに日光と奈良と松坂に行く予定です。今回は、妻は同行しません」
たぶん、政府関連のお仕事で来日されたのでしょう。

このメールを見た私の正直な気持ちは「ああ、困ったわ。もう1年位英会話なんてしていないし・・・ちゃんとお話しできるかしら?」というものでした。

でも、私が片言の英会話しかできないことは十分ご存じだし、電子辞書を持参すれば、なんとかおしゃべりができるでしょう。久しぶりの英会話のお勉強タイムだわ。こう思うことにしました。でも・・・やはり、ドキドキ・・・。

スギ花粉のひどい時期に、スギ林の乱立している日光へ行かれるとの事なので、いちおうmailでそのことをお伝えしましたが・・・花粉症の方は大丈夫かしら?と、毎年花粉症で悩まされている私は、心配しています。


さて、私の一番年下の海外の文通相手は、エジプトで知り合ったかわいい男の子でした。
エジプトのアブシンベル神殿観光への航空機の中で、たまたま隣の席だったフランス人の当時11歳だった男の子と、神殿行きバスの中で再び出会い、写真を送ってあげたりして、それから文通をすることになりました。彼のご両親は二人とも大学教授で、あの時はフランスの大学教授たちのエジプトツアーにその子も家族として参加し、美人の叔母様(弁護士)もご一緒されていたのでした。

☆★  アブシンベル神殿  http://www.hi-ho.ne.jp/kindo/abusimbel.htm

さて、子供の書いた簡単なフランス語の手紙は、辞書を引けば何とか読むことはできましたが、フランス語で(私の能力を超えた)手紙を書くのは、本当に大変でした。
その男の子は、なかなかの勉強家で、ある日突然日本語を勉強し始め、時々日本語の混じった手紙をくれるほどになりました。彼が18歳になって、大学に入ってから「入隊することになった。香港へ派遣されそうだ」との手紙が最後になって、その後手紙が来なくなって文通も自然消滅。それと同じように、私のわずかなフランス語の語学力もどんどん低下・・・。あの少年も今では、30代後半でしょうか?

だいたいにして日本では、普通に生活している限り、あの発音の美しいフランス語を使うチャンスは、ほとんどないのです・・・。

でもそんな忘れかけた片言のフランス語でも、フランス語圏を旅した時には(モロッコやチュニジア)現地の人とのコミュニケーションに、思いのほか役に立ちました。スークでのお店の人との会話、四輪駆動車のドライバーであるトゥアレグ族(かっては砂漠の遊牧民で、今は一部定住化)の男性との気楽なおしゃべりや、サハラ砂漠の砂丘の上で貝の化石を売っていたベルベル族の少年とのやり取りなどなど・・・。そんな時、たとえ片言でも言葉を知っていたら、それにbody languageを加えることによって、現地の人々と親しく心を通い合わせるための大きな力になることを、実感しました。

☆★トゥアレグ族 http://africanbazaar.jp/newpage78.html


Picture3_2 もう一人、中国にも年下の友人がいます。彼からも、5日ほど前に突然greeting cardが届きました。3年ぶりくらいでしょうか?中国の春節のお祝いのカードでした。

彼との出会いは、15年くらい前でした。チベット旅行のために、中国の成都の国際空港で国内便に乗り換えのため時間待ちをしていた時に、偶然ビップ専用待合室で出会いました。
私たちは、便が遅れていてたまたま旅行会社のご厚意で、設備の立派なそのビップルームで休憩をさせて頂けることになったのです。彼は政府に属する建築事務所の建築士で、政府のお偉方数名と、どこかへ仕事で出かける途中だったようです。

れが、ひょんなことから彼と言葉を交わすことになり・・・片言の英語と、漢字を駆使していろいろとおしゃべりを楽しみました。たぶん・・・写真を送ることになって彼の事務所の住所を教えてもらったのでした。それが縁で、文通が続きました。彼は、当時英会話こそ片言でしたが、読み書きの能力はすばらしく、いつも長文のロマンティクな内容の手紙を書いてくれていました。私は、相変わらず、辞書片手で汗だくで手紙を書いていました。

彼はどうやらかなり優秀な青年らしく、その後天津大学の建築科の大学院へ再入学したり、学生に講義をしたりと、住む場所も変わり生活が変化して、やがて建築修行のためにヨーロッパの大学に留学したりして、ともかく一生懸命に建築の勉強を続けたようです。彼は日本の建築家の一人(当時東大建築学科の教授)に、たいそう惚れこんでいました。日本留学も希望していたらしいのですが、結局はヨーロッパに留学することになったのでした。

今は、同じ建築を志す女性と結婚して、子どもも出来て、仕事も大学から企業の建築家と変化したようです。そして、いつしか長い手紙のやり取りは、途絶えていました。
それなのに、急に2月末の今の時期に、E-mailでのgreeting cardが届くなんて!でも、うれしい!
さっそく、返事のE-mailを出しました。今の日本と中国のトラブルを、残念に思うし、とても心配している・・・とも書きました。そしてこのblogのアドレスも知らせました。

本日(32日)中国語で、私のblogにアクセスをしている人がいました。彼かも知れません。彼には「家族の写真をE-mailで送ってね!」と書いておきましたので、近いうちに美人の?奥様と子供と3人の写真が送られてくることでしょう。彼は、お洒落でなかなかハンサムな青年でしたが。もうあれから15年たっています。でっぷりと太った中年のおじさんになっていることでしょうか?


と・・・こんなふうに、旅で知り合った人と、まだ細々とお付き合いが続いています。

いまでは郵便の手紙からE-mailへと変化していますが・・・どちらにしてもbody languageが使えず、純粋に言葉だけでしかコミュニケーションができないのはつらいことです。しかも肝心の英語を十分になんて使いこなせるはずもなく・・・たんなる事柄ではなく、心を伝えることの難しさを痛感しながら、mailを書いています。
ただ、かってと違って今は、ところどころ翻訳ソフトのお世話になりながら、文章を修正していけるので、とても気楽ですし、短時間に手紙を書けるのは嬉しいことです。

さて・・・今度の日曜日あたりは、ネパールの友人に会いに、JICAの東京センターへ行くことになるでしょう。奥さまへのプレゼントを(日本的なもので軽いもの?)持って・・・。

そして・・・また、どこかの国を旅して・・・新しい友人ができるでしょうか?

 

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コメント

うん、なかなか読み応えがありますねぇ。
こおいう感じでブログで発信しても良いんじゃないんですかい。

σ(*_*)のような外国旅行なんぞした事が無いモンには、なかなか新鮮ですよ。

この調子で書きなせぇ。

投稿: | 2008年3月 5日 (水) 22時00分

草さん
 おほめの御言葉ありがとうございます!
 長文で、飽きるのじゃないかと心配していました(^_^;)

 最近少し、文章が書けるようになっています。一時期は全然書けませんでした。想像力が凍ってしまった感じでした。 
 あーあー 年だぁ 全然言葉が浮かばない…シクシク

投稿: 夕日 | 2008年3月 6日 (木) 00時47分

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