カテゴリー「インド旅日記(6)~(10)」の記事

2008年9月29日 (月)

インド旅日記 (10)  トゥエルターティ?

2000年 9月27日~28日  
   ~~~アーグラーへの道~~~

☆列車内や駅の写真は撮りにく、映像がありません。


(マミーブルー記)
列車は通路を挟んで二段寝台が置かれている。片側の寝台は通路と平行で、通路を挟んで反対側は、通路に直角に二段寝台が2つ向き合っている。下段の寝台を上げれば座席になる。車掌が寝具を運んで来たので、とりあえず寝る用意をする。冷房が効いているのがありがたい。この暑い国では、エアコンは非常な贅沢であり、冷房なしの車両と比較すると、料金ははるかに高い。

上段の一方には、髭を生やした怖そうな男が寝ている。日本の寝台車とは比較にならないお粗末な設備だが、暑さからは逃れられたし、予想していたよりは清潔である。別に用事もないし、寝ることにした。
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(夕日)
寝台車に入って、とりあえずは荷物の盗難防止を開始した。二つのスーツケースは、ベッド下の床の荷物置き場に入れた。そこには鎖を通すための金属製の輪がついている。あらかじめ日本で購入してあった自転車用の鎖付き錠を、スーツケースの取っ手部分とその輪とに通して鍵をかけた。

次に、大切なカメラバックも盗難防止処置をして、体の脇に置くことにした。そうでなくても狭いベッドがますます狭くなるが、仕方ないとあきらめた。少しの現金とパスポートは、特製防水ケースに入れて、ジーンズのウエスト付近に隠した。
これで、ひとまず安心!

さらに万が一の場合を考えて、それぞれのスーツケースに、お互いの着替えを半分づつ分けて入れた。たとえ、どちらかのスーツケースが消えてしまっても、当座の着替えに困らないように!との思いからである。Picture34blog

私がこれまでに経験した旅行では、ツァー仲間の女性のスーツケースが空港で消えてしまった災難を、一度だけ経験している。
とりあえず日用品はすぐ手に入った。ツァー仲間からも、すこし分けて貰ったりしたようだ。しかし、着替え用衣類に困った。というのも災難に遭った彼女は、LLサイズだったから、他のメンバーの衣類では間に合わなかったからである。そこですぐに、緊急の現地調達となったのだった。しかし幸いにも旅の始めの場所が、辺境の地ではなくてトルコの都会イスタンブールだったので助かった。女性たちが、夜の繁華街を彼女の下着と洋服を求めて、さまようことになった。しかし色やデザインが日本人嗜好とは相当に違うので、かなり苦労した!ただ、今考えると、それなりに楽しい想い出となっている。

ちなみに被害者の女性は、帰国直後に旅行会社から30万円の補償金を貰ったが、なんと帰国1か月後にスーツケースが戻ってきた。空港の不手際で、どこかの国へと運ばれていたらしい。
「旅行費用分が出たわ、でも旅行中はいろいろ不便だったし・・・複雑な気持ちね」と、彼女。この経験から・・・家族で旅に出るときは、着替えや日用品を少しずつそれぞれのスーツケースに振り分けて入れることを、お勧めしたい。たとえば国によっては、ティッシュペーパーを全く使わない国もあるし・・・そんな国で、鼻風邪をひいて一苦労したこともある。ただし、これは後進国を旅する時にである。先進国の旅なら、何も心配ないが。

ところで私は、先日の冷房車の寒さに懲りたので、Tシャツの上にアルパカのカーディガンを着て、更にジーンズ地の上着を羽織った。そして念を入れて上着の両方のポケットにホカロンを入れて、寝ることにした。Picture58blog

寝具は・・・黄ばんだ白いシーツ(一応洗濯済み)に覆われた2枚の毛布と枕である。毛布は不潔そうだったが、ともかく、風邪をひかない方が優先だった。一枚の毛布を下に敷き、もう一枚を体にかけた。
旅行後に風邪をこじらせて病休でもしたら、職場の上司に何と言われるかわからないから・・・ともかく完全防備をしたのだ!

ガイド氏は風邪をひいているというのに、半ズボンと半袖シャツのパジャマ風のものに着替えていた。ゴホゴホ・・ゴホゴホ・・やっているのだから厚着をすべきなのに?
(お願い!風邪を私たちにうつさないでね・・・と心の中で祈っていた)

さて、車内の洗面設備は・・・きわめてお粗末である。狭いトイレ内に、手洗い用の小さな洗面台が1つ。そこを出てすぐの壁に、同じく小さな洗面台が1つ。ともに、30㎝×40㎝位の小さなもの。上に小さな鏡が一応付いているが、曇っていて使いものにならない。日本の昔のSL列車の洗面所を、更に小さく汚くしたものとして、想像して頂いたらよいだろうか?


(マミー)
日の出前に目がさめた。冷えすぎることがあると聞いていたので、登山用のレスキューシートを用意しておいたが、その必要もなかった。カーテンの間から覗くと、朝の平原が広がっている。雨季だけのものだろうが沼が広がり、白い花が咲いている。草原や畑のあちこちに、緑の木々がまっすぐに立っている。P9270507

一杯5ルピーのコーヒーを飲む。日本円にして約13円である。新聞売りも来るが、仕事以外は英語なぞあまり読みたくない。他の乗客も起き出して、車内はにわかに活気付いてくる。


(夕日)
朝の目覚めは、まずまずだった。風邪の心配もなさそうである。あとは、ガイド氏から風邪の菌を貰わないようにしなくちゃ!
スーツケースの方も、無事だった。パスポート類も、元のバックに戻した。ガイドブックによると、2等の冷房なし列車内などで、コーヒーなどを現地の人にご馳走して貰って飲んだら、その中に入っていた睡眠薬で意識を失い・・・身ぐるみ剥がれることがあるとあった。しかし、この国の貧富の差を見るにつけ、さもありなん・・・と思う。

後でわかったのだが、この寝台車両は警官が寝ずの番をしていてくれたとのことだ。とは言えガイド氏も、私たちに負けないほどの頑丈な南京錠と鎖とで、リュックの盗難防止をしていたから、警官が見回っていても危険はあるのだろう?ひょっとして、どこかの国みたいに、警官だからといって安心はできない?犯人を捕まえてみれば・・・あっと驚く?


(マミー)
ときどき停車する駅でも、人間たちの営みが始まっている。人間に負けずに牛も動き始めている。特に急がない人は、ベンチで布にくるまって丸太のように眠っている。

そのとき突然視野に飛び込んできたのは、サルではない、人間である。しかし、2本の手ですばやく動き回っている。ベンチにすがって立ち上がった様子を見ると、片足が妙な角度で曲がっている。片足が駄目なら、残った脚と手で歩こうというのだ。見ていても悲壮感がないのは「どっこい、生きてやるぞ」という活力でその目が輝いているからだろう。Picture29blog


(夕日)
ふつう私たちは、片足がなかったり麻痺して動かなかったら・・・とうぜん「松葉杖」に類するものを思い浮かべるだろう。あるいは、車椅子を利用するかもしれない。そして、もし、それらがなかったら・・・どうするだろう?傘でも何でも、杖代わりのものを見つけて、けんけん歩きをするだろうか?さまなくば、床をいざることかもしれない。
ところがこのインドでは、杖も松葉杖も無しで、片足の身障者が見事なスピードで、道を歩き回るのである。これには、本当に目を疑った!

どんな風に移動するかというと・・・片足のない猿を考えて下さればいいだろうか?それとも、後ろ足を一本失った犬を?まず両手と片足を3点、地面につける。すると、体のバランスは見事に保たれる。次に片足のみで全身を支え、一瞬のうちに両手をうんと前方に置く。次は両手で体を支えて、片足を前方へ素早く移動する・・・。そんな風にして、見事に両手と片足だけで自由に歩き回るのである。素手の若者もいたが、この後に見かけた片足の人の中には、サンダルを手にはめて(履くといった方があたっている?)4つんばいならぬ3つんばい歩行?をしている人もいたのだ。

これには、感動と言うか、驚愕というか、言葉を失った旅人二人!しかし現地の人々にとって、この光景は何の違和感もないようだった。Picture52blog

町の中では・・・自転車のペダルを手回し式に改良して、足の不自由な人たちが乗っていた。リヤカーと自転車を合体させた不思議な乗り物のリヤカー部分にベタッと座り込んで、手回しオルガン風のハンドルを回すことによって車輪を回している、身障者の男性もいた。

一般自動車道路でも、何度かこんな乗り物を見かけた。いかにも手作り風で、お粗末なものだった。しかし、なぜか身障者の女性をほとんど見かけなかった。障害を持った女性の場合は、どうしているのだろうか? 


(マミー)
停車中のプラットホームでは、本、雑誌、おもちゃなどを売ろうと、商人たちも精力的に動き回っている。大きな台車を押して果物屋が通るから、列車を降り、追いかけてバナナを買うことにした。小さいのが10本くらい付いて、1房25円。新聞紙の切れ端で包んでくれるが、日本も昔はこうだった。このバナナ、小ぶりだが皮が薄いし、熟してから収穫するからだろう、味もよい。バナナ売りを追いかけているうちに、列車は静かに動き出している。電車ではないから、動き始めてからでも十分乗り込める。


(夕日)
朝食も、バナナですませる。ガイド氏が用意してくれた朝食は、チラッと眺めただけで食べる気が起こらず、捨てた。バナナは、一本ずつが小さく見えても、皮が非常に薄いから、意外と食べでがある。このおいしさと値段の安さ、これはまさにインドの庶民にとって、最高級の自然の恵みであろう。このバナナ10本と、1リットルのミネラルウォーターの料金が一緒である。一流ホテルでは、このミネラルウォーターの料金が、何とこの5,6倍に跳ね上がる。Picture22blog


(マミー)
「トゥェル ターティ!」
何度も聞き返したがわからない。アーグラー到着予定が12時30分ということを思い出し、ようやく謎は解けた。 “Twelve Thirty”のことである。“th”の音がないから
“t”で代用しているのだ。それでなくとも英語の会話などまったく経験はないのに、インド訛りの英語は実にわかりにくい。

これは、上段に寝ていた髭さんとの会話でのことである。彫りの深い顔でちょっと怖そうだが、話してみるとそうでもないし、笑った顔は実に魅力的である。電話関係のビジネスマンらしく、南インドからデリーまで3日掛けていくのだとか。コーチンからデリーまで、飛行機なら2万5千円位だから、サラリーマンの給料を考えると採算が合わないわけだ。それでもこの冷房寝台車、冷房なしと比較して5倍の料金。千円対五千円というところらしい。


(夕日)
一昔前の日本も、長距離の旅は2等寝台車を利用したものだ。お金のない人は、2等普通車の席で座りながら眠ったはずだ。当時はたとえば、鹿児島から東京までだとして、SL列車利用だと、どのくらいの時間がかかったことだろうか?寝台車の場合は、早朝の到着時間を考慮して、走行速度を遅めに設定していたようにも思う。

ともかく、こんな古めかしい列車を利用していると・・・まるで、タイムマシンに乗っているような錯覚さえ覚える。そして、ちょっと楽しい!
一方、インド人のお髭のサラリーマン氏にとっては、長距離の大変な旅なのであろう。列車をいくつか乗り継いで・・・3日がかりで首都デリーに出張するのだから。飛行機なら、ひとっ飛び!

寝台車は、朝になると長椅子に替えて、2人ずつ座ることになった。上段は、ベッドのままにしておけるので、死んだように眠りこけていて起きてこない人たちもいる。
さて・・・ティーを飲みながら、お髭氏と私たちの長いおしゃべりが始まったのだ!Picture113blog


(マミー)
髭さんの同僚も加わり、怪しげな英語とジェスチャー、それに直感を加えて会話は進む。仕事のこと、隣国パキスタンとの争いのこと、南インドの美しさについて、などなど、話の種には事欠かない。マンデラ大統領を尊敬しているとか、意外にも無宗教だとか、短時間に飛行機で飛んだのでは不可能な長い会話が、いつ果てるともなく続く。

家族の話になったが、国策に沿った模範的な市民らしく、子供はどちらも2人である。写真を見せてくれたが、これがA4くらいの大きなもの。一枚200ルピーくらいすると聞いたが、インドとしてはずいぶん高価だ。


(夕日)
「日本のバンクの頭取が自殺をしたけれども・・・あれは、どういう理由だ?びっくりしたよ」突然に、お髭氏が言った。その話題に、逆に私たちが驚いた。えっ!あのニュースが、もうこちらのニュースとして、一般人の耳にも届いているのか!と。

「あれは・・・もぞもぞ・・・」

英会話力がないのに、そんな難しい質問は止してよ!と、心の中で叫ぶ。思いの外お髭氏はインテリで、新聞もよく読んでいて、国際的情報にもよく精通している。インドの場合、のんびりと自国のニュースだけで満足しては、生きていられないのかもしれない。

ともかく、彼は非常に勉強家であり、さまざまな角度から話題は広がった。政治、経済、宗教、そして結婚式のことやら・・・。日本の広島長崎の原爆のことから、インドやパキスタンの核保有問題。選挙のことやら、子どもの教育のことや、インド人のIT技術者のこと。貧しい人々への政府の援助政策について・・・。

難しい話になって、言葉が通じなくなった時は・・・ガイド氏に日本語と英語の交互通訳をお願いした。地方のインド人の場合は、とりわけ訛りがひどい!「えっ?」と何度聞き直したことか?これは、初心者向きの英語じゃない!いささか疲れたが、それ以上に話題が興味深かった。たぶん、インドの上のカースト階級の人々よりも、こんな普通の人々の方が、はるかに世の中の真実を、真摯に観察し考えているのだろう。それゆえ話題は尽きず、じつに充実した時間だった。Picture24blog

お髭氏の同僚も、彼に負けないほどの、実直そうなサラリーマンであった。途中から、その同僚も交えて、会話はますます盛り上がったのだ!こんな体験も、大人数のツァーだったら、難しかっただろう!だいたいにして、10~20人の日本人ツアーが一か所に固まっていたりすると・・・現地の人は、余りそばに寄りつかない。お二人をポラロイドカメラで撮してあげたら、すごい喜びようだった。
しかしながら、旅行バックに入れて宝物のように大切に持ち歩いていた大判の家族写真の値段を聞いて、納得!

数枚撮してあげたら、お髭氏がティーをおごって下さるという。更に「これを食べないか?」と、レーズンの大きな袋を回して下さったので、少し頂くことにした。たぶん奥様の、心づくしなのであろう。なお、お髭氏は、パソコンのe-mailアドレスを持っているとのことだったので、互いにアドレスを交換した。(帰国後、私たちもお髭氏からも何の動きもしあってはいないが・・・)

ところで車内は、だんだん寒くなってきた。夜中は、ガイドさんに頼んで冷房を弱めて貰ったのだが・・・マミー氏のリュックにつけてある温度計を見ると、室温は20℃しかなく、手が冷える!温度の下げすぎだ。ホカロンを引っ張り出して、手を暖めることにする。
すると・・・案の定「それは何?」と質問が飛んできた。しかし、この説明が難しくて四苦八苦した。Picture43blog

以前、冬のモロッコ旅行中にも、同じ質問をフランス人から受けたことがある。ヨーロッパの国々でも、ホカロンは売っていないのだろうか?アメリカは?ホカロンは、日本独自の発明なのだろうか?


(マミー)
ふと窓の外を見ると、薄茶色に塗った戦車が台車に積まれて並んでいる。軍事施設らしい建物も見える。11時ごろ、窓に水滴が付き始め、高原は雨となった。雨はすぐにやんで、12時前にビジネスマンたちが騒ぎ出す。予定より早くアーグラーに着いたのだ。

行きずりの友人たちと、あわただしく別れの挨拶を交わし、ホームや駅舎に転がっているホームレスの間を縫って、待っている白い乗用車に乗り込んだ。Dvc00007


(夕日)
早めに目的地に着いてしまったので、あわててリュックを背負い、スーツケースを押して、列車から降りた。あとは、赤帽がスーツケースを頭にのせて、車まで運んでくれるのだ。

インドの人々と少しだけお近づきになれた・・・そんな満足感と共に、寝台列車の旅を終えた。

                      

(⑪につづく)

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2008年9月23日 (火)

インド旅日記 (9) プラットホームで

2000年 9月27日
   ~~~ブシャワール駅~~~

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(マミー)
午後4時ごろ駅に着いた。列車が出るまでかなり時間があるので、ガイドは休憩室確保の交渉に出かける。我々の乗っている車は、駅の裏口の小さな広場に停まっている。暑い。ガソリンも安くはないのだろう、停車中はエンジンを切ってしまうのだ。
しかし、運転手にこの2日分のチップを渡すと、胸算用より多かったのか「クーラーを入れましょうか」と機嫌よく聞いてきた。ささやかな幸福なら、こうして金で買うことができるのだ。


(夕日)
列車は夜9時出発である。まだ5時間もあるのだ。ガイド氏は、にこやかにこう話した。「少しお金を出して頂きますと・・・シャワーつきの快適なソファーのある、居心地の良い特別待合室を利用できますので・・・そちらで、ゆっくりと休んで頂くことにしましょう。よろしいですね。では、これからお部屋の予約をしてきますから、こちらで少しお待ちください」二人のガイド氏は、そそくさと駅の方へと消えていった。

良かった!一般待合室は、たくさんの人が床にゴロゴロ転がって寝ているし、大きなスーツケース類を抱えていては、盗難が心配でのんびりとベンチに座っていられない。埃、蝿、さまざまな臭い、人々の喧噪、野良牛などなど・・・たんなる好奇心だけでは、とても5時間もいられそうにないのだ。それにしても、シャワー室まであるなんて、うれしい!Dvc00010

ガイド氏を待つ間に・・・この2日間お世話になった、この地の旅行社の専用運転手さんに、少しのチップを差し上げることにしたが、じつのところこのチップほど悩むことはない。団体ツァー参加だったら添乗員さんがすべて、旅行費用の範囲内でやってくれるだろう。とはいえチップは義務ではなく、まさしく心付けである。それゆえに逆に金額で悩んでしまうのだ。日本の基準で差し上げたら、余りに金額が大きすぎて、現地の人たちの経済生活を乱してしまうからである。どのくらいの金額が、妥当なのか?本当に難しい!Picture102blog

あるホテルのレストランでは、中年のボーイさんに、100円ボールペンをチップ代わりに差し上げたら「あ、ありがとうございます。息子にやります。きっと大喜びしますよ」と、ボールペンを大事そうに抱きしめたのだった。そのあまりの幸せそうな表情に「あのぅ、もう一本差し上げましょう!」と、つい言ってしまった。インド国内でもボールペンが作られているが、一昔前の日本製(途中でインクが出なくなる細身のキャップ式)に似た、いかにも品質の悪そうな代物だった。

さて・・・ガイド氏は、なかなか戻ってこない。しばらく、車の窓から外の光景に目をやることにする。


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駅裏広場の片隅で、食事の支度をしている家族が2組ある。母親と子供3人の4人家族と、母親と子供2人の別の3人家族。少し離れたところに、まったく無造作に赤ん坊が布にくるんで投げ出されている。知らない人なら踏んでしまいそうな場所なのだ。3家族目のこの赤ん坊の母親はずいぶん若く、非常にきれいな顔立ちをしている。日本へ来れば、すぐにテレビ出演の話があるだろう。こういう人たちは、不可触民として先祖代々からの極貧生活だから、それほど人目も気にしていないらしい。見る方としても、ここ数日で見慣れたせいか、今さら特に衝撃を受けるほどのものでもない。P9270511


(夕日)
駅裏広場と言っても・・・石塀で囲われた、さして広くない空間。その1つの端に3家族が、隣り合って暮らしているようだ。子どもの半数が裸足。3,4才から10才くらいの年令層だろうか?とうぜん学校教育などとは無縁の生活だろうし、きちんと戸籍登録してあるのかさえも疑問である。子供がいるということは、父親も一緒に暮らしているのだろうか?Dvc00013

ガイド氏に「こんな場所で寝起きして、家族で暮らしているのか?父親は、どうしているのか?」と聞いてみたら・・・ひどく嫌な顔をされた。いかにも触れてほしくない話題という感じ。
「たぶん、別のところに家があるのでしょう。父親が、この駅でポーターなどをして働いているので、日中は一緒にここにいるのでしょう」ぶっきらぼうに、そう答えてくれた。でも、どう見ても、まさにここに住んでいる雰囲気だった。大きな布でくるんだ荷物が、家族ごとに数個ずつそばに転がっている。これは古着などの全財産のようだ。洗濯したらしい衣類(サリーや布や、大人用ズボンなど)がすぐ横の石塀に無造作にかけてある。Dvc00011

母親達が、目の前に転がっている直径10~20㎝位の石を使ってかまど風にすると、枯れた小枝を集めてきて火をつける。そこにアルミのお鍋を1つかけて、ご飯を炊いている。1つの鍋がすでに炊きあがったらしく・・・一家族が地べたに直に座って、おかずもなしで右手で淡々と食べ始めた。子ども達はお皿で、母親は、お鍋にじかに手を入れて・・・。P9270512

もう一家族の方は、まだ炊けていなかったので、そちらの子どもたちが、羨ましそうにその食事風景を眺めていた。一緒の場所に並んで暮らしていても、衣食はそれぞれ違うのだろう。やがて、もう一家族の方も、ご飯が炊きあがったが・・・やはり、白いご飯だけを手で食べていた。
カレーなどは、贅沢で食べられないのだろうか?ご飯に食塩くらいはかけているのか?

さてもう一家族は・・・?
まずは広場の真ん中寄りに置いてある薄汚れたシートが、目に入った。私たちが駐車しているすぐ近くである。そのシートの上に、薄汚れたバスタオルのようなものが、丸めて置いてあった。それを何気なく見ていたら・・・なんということか、少しづつ動き出したのだ!そしてその中から、赤ちゃんの泣き声がして脚が見えた。薄汚れた赤いドレスの裾から、オムツをしていない可愛いお尻も見えた。Dvc00014

やがて・・・濡れたお洗物を抱えた若い母親が、どこからか現れ、石塀に1つずつ干し始めた。それから、赤ちゃんのところへ行き、抱き上げてあやし始めた。なかなかの美人である!

そこに突然の闖入者?が・・ドタドタドタ・・・
野良豚の母さんである。どうやら妊娠中のようであった。大きなお腹が揺れている。たくさんあるオッパイも、垂れ下がって地面に届きそうだ。食物探しなのであろう。人間が生きている限り、生ゴミなどがあるから、彼らもそれなりの食事ができるのである。その母親の後を追うように、子豚がヨタヨタ歩いてきた。どうも足が悪いようである。その後から、山羊もやってきた。Dvc00015


(マミー)
カメラに気が付いた子供たち、写りたいのか、こちらに向かってしきりにポーズを取る。2枚ばかり撮ったが、特に面白い被写体でもない。Dvc00019Dvc00018

ガイドが戻って来て「VIPルームが特別に提供されます」と言う。大臣クラスが利用する場所で、交渉は非常に難しかったのだとか。車を降りて、現地ガイドへのチップを出そうとして後ろを向いた。そのとたん、いつの間に近寄っていたのか、さっきの子供たちがいっせいに手を差し出した。乞食の家族だったのだ。
「ノー!」と一言で片付けた。



(夕日)
ふつうの職業につけない不可触民は、子どもをたくさん生んで・・・その子どもたちに乞食をさせて稼いだりするのだ。たぶん大人よりも子どもの方が同情を誘いやすいし、稼ぎも良いであろう。また乳飲み子を抱えた若い母親も、同情を買いやすいようだ。Dvc00017

しばしの時間待ちに、その子どもたちの様子を見ていて「なかなか可愛い子どもたちだこと。可哀想にね・・・」と思い始めていた矢先に突然「お金をおくれ!」と手をポンと差し出され、一瞬のうちに夢から覚めた。
人間、ともかくお金がなくては生きられないのだ!Dvc00016_2

さて現実に戻ってデイバックを背負い、そそくさと駅構内へと入り、VIPルームへと移動することにする。なんでもVIPルームは、駅ホーム上にあるらしい。


(マミー)
さて、VIPルームへと向かう。狭いけれども清潔で、エアコンが入り、風呂とは言わないがシャワー設備があり、上等なソファーが置いてあるはず。重いスーツケースはポーターの頭の上に乗って運ばれて行く。

インドの駅には、改札というものがないらしい。行く先は、跨線橋を昇って降りたプラットホーム。


(夕日)
駅の待合室には、夜中の列車を待つたくさんの人たちが、シートなどを敷いて横になっている。長期戦の構えらしくて、すでに家族揃って眠っている。

私たちの前を、頭に私たちの二つの重いスーツケースをのせて痩せたポーターが歩く。大きな荷物は頭にのせて運んだ方が、荷物や人にぶつからずに、スムーズに通り抜けられるのだ!山羊たちも待合室をウロウロしているが、誰も気にしていない。


さて・・・ホーム上にも、たくさんの男女が床に直に横になっている。乞食なども含め、このホームを根城にしている人もいるようだ。
水売り、リンゴ売り、バナナ売り、チャイ売り、揚げパン売りなどが、腰の高さの車をゆっくりと押して売り歩いている。派手な色彩のキューピー人形売り、ベルト売り、本売りなどもいる。同じホーム上を、時には山羊や野良牛なども勝手気ままに歩くのだから、その喧噪のほどが想像できるであろう!

しかし我々は、大臣クラスが利用するという超特別待合室へと向かっているのだ!気分は、まさにルンルン・・・であった!


(マミー)
問題のVIPルームのドアには、なぜか汚い字で「修理中」とかかれている。その字に負けず劣らずドアも汚い。ドアを開けると、不吉な予感は的中した。がらんとした十畳ほどのタイル張りの部屋に、安物の応接セットがでたらめに置かれている。もちろん、古ぼけて穴の開いた代物である。その他は、なぜか魔法瓶がひとつと、ポリバケツがある。それに“VIPROOM”と赤字で書いた看板が、壁際に立てかけてある。P9270513 壁には見事な蜘蛛の巣。天井の巨大な扇風機が熱風と埃をかき混ぜている。久々の来客に喜んだか、ヤモリまで走り回っている。

いかにインドでも、これをVIPルームとは言わないと思うのだが、あるいは言うのかもしれない。判断を下す根拠は何もないのである。後で考えたことだが、駅員とガイドが手を組んでひと稼ぎしたのだろう。こちらにしてみればわずかな金であるが。Pictureviproom

暑い。室温は33度から下がろうとしない。ホームのほうがよほど涼しいのだが、この駅で観光客の日本人は目立ちすぎる。外務省の資料やガイドブックにはさまざまな注意事項が書かれているが、駅の構内で寝ている人々を見ると、同じ空間で汽車を待つのは危険すぎるような気がする。ときどきビップルームのドアを開けて、外の様子をうかがう。ホームでは荷物の積み下ろしをしているが、そのすぐ横に平気で寝ている人もいる。インド人は何を考えているかわからない。

ドアを開けるたびに外の状況は変わっている。ドアの前をふさぐように荷物が積み上げてあったり、荷物が消えたと思うと人間が転がっていたり。横のベンチで仮眠しているのは、普通の旅行者らしい。


(夕日)
せっかく別料金を払ってたどり着いたお部屋が・・・なんたること!開いた口が塞がらないとは、まさにこのことを言うのだろう。

ここ何か月も使った形跡がないし、お掃除だってここ一年以上していないだろう。荒れはてた部屋と言ったらよいのか・・・二人とも余りの驚きに、ただ顔を見合わせて苦笑いするしかなかった。

「このお部屋は、本当に大臣級の人だけが利用できる特別室なのです。駅の偉い人に頼み込んでやっと特別の許可が下りて、借りられたのです」
必死で、説明するガイド氏の言葉がむなしく響く。
「ではお二人で、しばらくここでお休み下さい。私は(夜)8時頃ここに戻ってきます。では、ごゆっくり。必ず中から鍵をかけてください。私が戻ってきたらドアを叩きますから、その時は開けてください」

ガイド氏は、リュックと紙袋を置いてどこかへ消えたが、すぐに戻ってきた。
「どうも風邪をひいたようです。私のリュックの中に風邪薬が入っていますので、それを取りに来ました」風邪薬を持って、ガイド氏は再び消えた。Dvc00005_2

腰掛けて休むのに、汚らしいソファーしかなかったが「蚤や南京虫は?」と一瞬思ったもの、これから4時間もここで待たなくてはいけないので、覚悟を決めた。
まず、お部屋を点検して・・・とりあえず、それぞれのカメラで記録に取ることにした。リモコンを使って自分たちの記念写真も撮影しておいた。

「この扇風機は、一昔前のトンボ式ね。埃をかき混ぜるだけだわ」
「でも・・・つけないと、蒸し暑さで息が詰まりそうだしね・・・」Dvc00002
埃アレルギーの私は、途中から持参の花粉症用のマスクをしたが、帰国後にアレルギー症状で発熱したのは、この時の埃が原因だったのかもしれない。

このお部屋の隣に、小部屋があった。2m×5mほどの横長の洗面所であった。水洗トイレは、古びているが一応使えるのでほっとした。ともかく、トイレが確保できて一安心。壊れかけた小さな洗面台の上には、使い古しの歯ブラシが一個残されている。とりあえず、水は出る。Dvc00003

今回、殺菌力の強い大判の濡れティッシュをたくさん持参したが・・・手以外の物を拭くのにも、とても重宝した。蜘蛛の巣とヤモリなどのお客さん以外、壁には何もめぼしいものがなくて、ただ、ヒュルヒュル・・・ヒュル・・・と、トンボ式扇風機が回り続けている。

お部屋の点検は、あっと言う間に終わる。まるで監獄に入っているような感じさえし始めた。
レストランで作ってくれた、夕食用のお弁当箱(厚紙製)を開いてみる。まずそうなサンドイッチと、バナナが入っていた。皮の薄い小さなバナナは甘くて美味しいので食べたが、後は捨てた。このお弁当に飲み物はついていなかったので、手持ちの魔法瓶のポカリスエットを大事に飲んだ。ガイド氏が戻りしだい、ミネラルウォーターを頼もうと思った。

その後の長い待ち時間は、マミー氏の写したデジタル写真を、ノートパソコンで再生して眺めたり、私のデジタルビデオ画像を再生して眺めたり・・・。
それでも時間が余った。マミー氏は、パソコンで旅行記を打ち込み始める。私は私で、ノートに旅行記用のメモを書きつづる。

しかし、ガイド氏はまだ戻ってくる気配がない!なんともうすぐ夜9時だ!

(注:部屋はかなり暗かった。最初の写真2枚は、フラッシュ使用のためかなり明るく見える。真ん中の写真は、トンボ式扇風機。最後の壁の写真は、大きな蜘蛛の巣を撮ったつもり。この記事の写真のかなりは、ビデオよりの静止画像である。そのため不鮮明になっている)

(マミー)
さて、暑さの中で時間は経って行く。寝台列車の発車時刻が近づいて来ると、さすがに心配になる。ガイドはどこへ消えたか?まだ現れない。こうなったら自力でアーグラーへ向かおうと決めて、ガイドの荷物の大きな封筒を開けて切符を探し始めたとき、ノックの音が聞こえた。慌てて荷物を元に戻す。

到着ホームへ向かう途中、警官を見かけた。警官など珍しくないはずだが、これが尋常な警官ではない。小銃を持っているのである。それだけならまだいいが、小銃には銃剣が装着されている。平和ぼけした日本では、絶対にありえない光景である。

ホームでミネラルウォーターを買って待つうちに、寝台列車が到着した。駅の風景は面白い写真になるのだが、剣付き鉄砲を見たあとだし、カメラはしまっておとなしく車室に収まることにしよう。


(夕日)
何ということか・・・我々が、やっとホームにたどり着いた時、まさに乗るべき夜行寝台車が、スーッとホームに滑り込んできたのだ。
「時間を見計らって、今お迎えに来ました!」なんて、とんでもない!たぶん、どこかのベンチで居眠りをしていたのかもしれない。

冷や冷やの思いで、重いスーツケースを列車に乗せた。第一関門通過。次は、泥棒対策である。
ミネラルウォーターも何とか手に入れて、やっと一息ついた。あの数時間の監獄生活から、やっと抜け出て、喉の乾きも癒せた。まったく、やれやれである。まあ、こんな経験も後で思い出せば、それなりの苦笑いの想い出になるのであろうが・・・。

それにしても、このガイド氏には困ったものだ。この後は少し気を引き締めて、このガイド氏と付き合うことにした私たちである。Picture84blog



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2008年9月16日 (火)

インド旅日記 (8) 紅い花に雨が降る

2000年 9月27日 
  ~~~アジャンタの石窟~~~
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(マミー)
それぞれの石窟では『入場者数(40人ずつ)の制限がある』とガイドブックに書いてあるが、制限どころではない。どこへ行っても、ほとんど我々だけの貸し切り状態。
『数名の「照明係」がチップ目当てに、一斉に集まってくる』とこれもガイドブックにあったが、どの石窟にも一人しかいない。
P9270415
アジャンタでは、石窟内部でのストロボの使用が禁じられている。三脚の使用も許されていない。デジカメの感度をASA400にする。これでも駄目な場合を考えて、普通の銀塩カメラには、ASA1600の超高感度フィルムを詰めてある。

さて第1窟。ここには有名な蓮華手観音像と金剛手菩薩像がある。法隆寺金堂内陣の菩薩像のオリジナルとか。幸いなことに、どちらも人に見せられる程度の写真は撮れていた。蓮華手観音像は、後で見るとシャッター速度2分の1秒で撮影できていた。 P9270443

これから行かれる方は、なるべく高感度のフィルムを用意されるとよいだろう。もちろん、レンズはできるだけ明るいものを選ぶ。それから、とにかくカメラをブラさないように、しっかり静止させる練習である。アジャンタ関係のページをいくつか検索したが、どれも不鮮明で、よくも大きな顔で発表したものだと思う。人の迷惑も考えなければねP9270445


(夕日)
前日の激しい雨のせいで、渓谷の緑が美しい。そして、昨日と打って変わって、とても涼しくて過ごしやすい。P9270413

それぞれの石窟内が、私たちだけの貸し切り状態だったせいで、思いがけない遊び?もできた。
ガイド氏が、照明係から大きなライトを借りて、入ってはいけないはずの仏像彫刻の納められている場所へ、そっと忍び込んだのだ。
「ホラ、この角度でライトを照らすと・・・仏様は哀しそうな表情になりますね。そして、この角度から照らすと笑い顔になります。こちらの角度からですと・・・さて、どのように見えますか?おもしろいでしょう?」と、光と影が仏様の表情をいかに演出するかということを、目の当たりに見せてくれたのだ。P9270431b_2

そう言えば・・・さまざまな画家たちが、この光と影を上手に使って、人物像のさまざまな心理描写をしたり、あるいは宗教的荘厳さを表現したりしている。プロの写真家も、この光と影を巧みにつかって、被写体をより美しく味わい深く、映像化するようだ。P9270429  


(マミー)
彫刻や絵画もすばらしいが、それは写真に任せておこう。大事なのは人との出会いである。石窟内で3人組の娘さんたちと一緒になった。パリから来ていて、2週間の旅だとか。少しおしゃべりしてから撮影続行。
ガイドの説明も聴かねばならぬし、なかなか忙しい。P9270417

道の途中で行き違ったインド人の少女に「どちらからいらしたのですか?」と質問された。階層によって英語の質も違うのだろうか、違和感のない美しい英語であった。「日本から」と答えたが、うまく通じたようである。当たり前か。
P9270458

(夕日)
パリからやってきた3人組の若い女性たちは、どうやら大学生のようだった。たとえ片言であっても、日本人のオジサンとオバサンから、突然にフランス語で話しかけられるなんて、夢にも思っていなかったようだ。しかも、インドのこんな意外な場所でなんて・・・」。

「フランスの方でしょう?」と話しかけると・・・「えっ!」と、一瞬ギョッとした信じられないような表情。それからすぐに、笑顔を取り戻して「ええ、そうよ。私たちはね・・」とにこやかに話し始める。ちょっと言葉が通じただけでも「旅は道連れ、世は情け」みたいな親近感を覚えてしまうから、不思議・・・。この3人組とは、この後、このアジャンタの入り口のレストラン兼ホテルのトラベラーズ・ロッジのレストランでも再会した。カレー料理を美味しそうに食べながら、今後の旅行の計画を練っていたようだった。

このアジャンタの見どころは、たくさんの壁画のすばらしさである。壁画は彫刻よりも耐久性はないが、そのかわり複雑な物語的表現が可能である。これは、エジプトのファラオ達の墓内部での壁画でも感じたことであるが、絵というのは、言葉のなしえない正確な歴史の一面を表現できるものである。更に絵巻物風に、場面や登場人物を次々と替えながら描くことによって、歴史物語を描き出すことができるのだ。P9270421

当時の文明が、いかに進んでいたのか?当時の人々の風俗習慣や服装。当時の外国とのつきあいをしめす、壁画に表現されたさまざまな顔立ちや皮膚の色の大使達。当時の宮殿内外の風景。そしてそして・・・。
歴史学者にとっては、涎が出るほど価値の高い壁画群であろう。

この石窟寺院が主に造られたのは、紀元5世紀である。インド文明が黄金期に輝いていた時代であった。当時の敬虔な仏教信者であった家臣達によって、財と威信をかけて造営されたものだ。しかし、まもなくその帝国が崩壊。この寺院群も、やがて密林にのみ込まれて・・・なんと千年もの間、眠りに就くことのなったのだ。P9270438

しかしそのおかげで壁画は誰にも破壊されずに残り、今その千年前の貴重な歴史の絵巻を、私たちに見せてくれるのだ。
この石窟見学で唯一残念だったのは、常備灯なしなので内部が暗すぎて壁画が十分に見えなかったこと。見たい場所の狭い範囲を、少しずつライトで照らしては、目を凝らして丁寧に見ていくしかない。照明係が、チップを期待して一生懸命に私たちの後を追いかけてくる。

ストロボなしでカメラと格闘しているマミー氏が、怒鳴った!
「ライトは邪魔だ。どいてくれ!」
(注:ファインダーにライトが入ってしまうのである。壁画にとってストロボが有害か、強烈な電球が有害か、今でも疑問に思っている)

P9270456_2

この石窟内のように常備灯なしで薄暗闇なのは、中国の敦煌の仏教石窟群の場合も同じで、照明による変色を防ぐための、やむを得ない手段なのかもしれない。敦煌では、懐中電灯の明かりのみしか許されなかったのだ。そこに照明係などは存在しなかった。しかしこのインドの場合は、入場料代わりに照明料をとっているのではないか?と思える節がここ以外にもあった。   


(マミー)
道の片側は谷になっている。P9270481 目には見えないが水音がするし、そのあたりを誰かが散策している気配もある。濃い緑の中に紅い花が咲いている。P9270479 ここまで来て、少し雨が降り出した。激しい雨ではないが、急いで近くの石窟に逃げ込む。P9270418

行程の3分の2くらい来たところで「これから先は、お二人だけでゆっくり見てください。この懐中電灯を使ってもいいですよ」とガイドが言う。それはさっき貸してやったマグライトだろうが。この男、今日も商売道具なしで来たのである。チップの代わりにマグライトを?とも考えたのだが、このライトはちょっと高価すぎるのでやめにした。 P9270448


(夕日)
ガイド氏は一通りの説明が済むと、毎回「あとはご自由に!さて、時間はどのくらい必要でしょうか?」と問う。P9270478 そんなわけで、しばらくは私たちもガイド氏も、気楽な自由時間が過ごせる・・・というわけであった。かりに予定よりも多少時間がかかっても、さして問題ないので・・・心の赴くままにあちらこちらを、のんびりと眺めて歩き回ることができた。P9270451

途中で、一組の若いカップルから声をかけられた。
「すみません・・・シャッターを押して頂けません?」
フランス人の女性と、東洋系の男性(流暢な英語とフランス語を話す中国系?のインテリ風)のカップルであった。石窟を背景にニッコリと幸せそう・・・。

二人は、小雨の中を寄り添って岩の階段を上っていった。
そんな後ろ姿を見ながら「世界は1つ・・・」なんて思っていた私。

P9270474
(マミー)
見学の残りは未完成窟ばかりであるが、26窟にはすばらしい寝仏がある。それ以外の未完成窟にも、さまざまな彫刻が残されている。それを見ながら26窟に着くと、白服の番人が暇そうに座り込んでいる。同行者はポラロイドカメラを取り出し、写真を撮してプレゼントした。P9270488

その番人とあれこれ話をしているうちに、青服の警備員も出てきたので、やはりインスタント写真をプレゼント。これが思わぬ効果を生んで、ストロボもビデオも黙認してくれることになった。
ただし、その結果わかったことだが、石窟内で石の彫刻の写真を撮る場合、ストロボを焚いてはならない。凹凸が消えて、ただの石に戻ってしまう。デジカメのよいところは、撮影後直ちに、画像を再生して写り具合を点検できることだ。だから、この時もストロボをすぐに切ることができた。


(夕日)
寝仏とは、お釈迦様の涅槃像のことである。その涅槃像を見守るように、さまざまな顔立ちの弟子の僧侶たちの小さな彫刻が、壁にたくさん刻まれている。どれも、深い哀しみの表情をしていて・・・ひどく心を打つ。P9270490
インドで最大のこの涅槃像は、静けさの中にもおだやかな微笑みを浮かべて・・・横たわっているのだ。

じっと見ていると心が落ち着いて・・・やさしい気持ちになる。

ポラロイド写真の件であるが・・・余りの効力にびっくり。というのも観光へやってくるインド人たちは、たいていカメラをぶら下げている。だから、観光地で働いている番人や警備員だったら、安いカメラくらい持っているはずだと思ったのだが・・・あの喜び方からすると、こちらの庶民にとっては、カメラはまだまだ高嶺の花なのだろう。P9270489

「おお、良く取れているぞ。お願いだよ、この仏像をバックにもう一枚頼むよ!」
「私は、ここで撮ってくれ!それから、外でもう一枚」
二人は、夢中で次々とポーズをとっていく。目が輝いていて、ポラロイド写真が一枚、また一枚と出来上がるたびに、子供のようにうれしそうにはしゃいでいる・・・。

そして、彼らは私たち二人にこう囁いたのだ。
「ここで、好きなだけフラッシュを使って写真を撮っていいよ。ビデオカメラも、いいよ。さあ、早くやりなさい!」
そんなわけで私たちは、思い切り好きな映像を撮ることができた。もしかして警備員の人は、中に誰も入らないように、入り口の番をしていてくれたのかもしれない。
しかし、これが観光客の多い時期だったら、こんな規則破りのことはできなかったであろう。今回は、本当についていた私たちである!


(マミー)
帰り道でも、撮影しながら入口へ戻ろうと思ったのだが、また雨が降り出した。カメラをしまって、1つの傘を分け合いながら歩く。中学生くらいだろうか、入口付近にインド人の女の子の一団がいて、一斉にこちらを見た。インドではまだ、日本人は珍しいのだろうか。P9270480

正直なところ、美しい壁画や彫刻よりも、2人で歩いたことの方が記憶に残っている。1人でも旅はできるが、ずいぶん味気ないことだろう。時間と空間を共有することに比べれば、写真が撮れるかどうかなど、たいした意味はないと思った。P9270449

売店まで下ると、また物売りが付きまとう。物売りの間を掻き分けるようにして食堂へ入り、昼食である。やはり食事はカレーが出る。ナンもここのは貧弱で、あまり感心しない。しかし、ビールだけはとにかくうまい。ここのビールは、町の一流ホテルよりも少し安くて100ルピー(日本円で、250円)。それでも、庶民が気軽に飲めるものではないだろう。今度の旅行ではチャイ(ハーブティー)に期待していたが、この食堂のものは悪くない味だった。

遅い昼食を終えて車に乗る。行き先はブシャワールの駅である。


(夕日)
私たちが、トラベラーロッジへ向かおうとすると・・・屋台風にたくさん並んだ土産物店から、大きな怒鳴り声が飛び交う。P9270503

「そっちの店は、高いよ~。うちの店の6割増しの値段だよ~。うちの店で買いなよ!そっちは、高いよ!」
「駄目だよ、あっちの高い店で買うなよ!こっちの店がいいよ~」
「おぉーい!こっちだよ~~ 高い店で買うな!」

そして、絵はがきや写真集を持った売り子が、私たちを取り囲む。こんな観光地の絵はがきは、だいたい紙質も悪いし、写真の映像もぼけていることが多い。たまに「まあ、きれいな写真集!」と思って買って帰国してよく見たら「made in japan」だったこともある。

観光でやっと食べている人達にとっては、オフシーズンは大変なのだろうが・・・一般的に言ってオフシーズンを狙ってケチケチ旅行をする人は、土産品にやたらと散財はしないだろう。私たちも、そうであるし。P9270502

さて、ここのホテル兼レストランのロッジは、外国人観光客ばかりである。しかし、相当に空いている。おかげでトイレも空いていて、助かる。これがベストシーズンだと、2つ位しかないトイレの前に、長い行列ができる。日本人、ヨーロッパ人、アメリカ人等々が入り混じっての行列。この無意味な待ち時間の長いこと!いささかうんざりしてしまう。

ここでのお食事のことは、ぜんぜん記憶に残っていない。それよりも、すぐ近くの席に座っていた、例のフランス人の3人組の女子大生グループの方が気になっていた。こころもち頬を紅潮させて・・・旅の本を開きながら、楽しそうに話をしていた。
若いっていいな!と、感じていた。

中年のオジサンとオバサンは、それなりに旅を楽しむことにしよう!
なんて・・・本当は気持ちの上では、彼女たちとさして差はないつもりだが。外観も体力も、どう頑張っても若さには負けるだろう。

さあ、今晩は夜行列車の旅。泥棒から荷物を守らなくては!


(マミー)
このような場所では、ガイドの説明などたいした意味はない。無駄な金を使うより、自分の目で物を見ることをお勧めする。

さて、これから駅へ向かうのだが、とんでもない災難が二人を待ち構えていた。

   (⑨に続く)

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2008年9月14日 (日)

インド旅日記 (7) 目ざわりな物売りたち

2000年 9月27日 
  ~~~アジャンタへの道~~~

(マミーブルー記)
ホテルのロビーは広々としている。いや、それほど広くはないのだが、空間を贅沢に残しているからそう感じるのだろう。直線が主体のこのような場所では、片隅に設けた螺旋階段の曲線が非常に美しく見える。部屋は豪華とは言えないが、旅の宿りとして文句はない。ここに2泊して、今日はこのホテルともお別れである。P9250120_2                                                



(夕日記)
今回の旅が、二人きりだったせいで・・・着替え用の衣類が最小限ですんだ。
というのもツァー仲間がいると、日中着ているTシャツにしても、少し気取ったものにしたり、夕食時には少しおめかししたり・・・と仲間の雰囲気に合わせて、多少とも気を遣わなくてはいけないからである。そんなわけで、衣類がついつい増えてしまう。

とはいえ、なかには全くそんなことを気にしない人もいる。あるツァーでは、8日間まったく着替えず、着のみ着のままで?荷物も小さなバック一つきりだった女性がいた。黒いロングスカートに、いつも同じ白いブラウス姿。あのブラウスだけは、毎晩洗っていたのだろうか?  

その点、二人旅は気楽。仮に、同じジーンズを数日続けてはいていても平気。そんなわけで、今回は着替えが少なかったので、スーツケースの荷物整理も楽だった。
ただ・・・予定外だったのは、雨期のインドでは、Tシャツや下着類の洗濯物が乾きにくいことである。そこで窮余の策は、ヘアドライヤーで乾かすことだった。けちけち旅行の私たちは、ホテルのクリーニングサービスを利用することは、夢にも考えもしなかった。
P9250110
朝食は、このホテルでもバイキング形式だった。好きなものだけを選んで食べられるのは、好き嫌いの多い私にとって、とてもうれしい。ただ、ちょっと×をつけたい食べ物もあった。        

<半分にカットしたトマトだけを、たっぷりの油で炒めたもの>
→これは、余りに油っこすぎた。トマトは生で食べたい!

<胡椒入りヨーグルト & カレー入りヨーグルト>
→これは、どうも日本人向きじゃないと思った。

<油がたっぷりしみこんだドーナツを、蜂蜜漬けにしたもの>
→なんともしつこい味であった!とても食べられなかった。

野菜カレーでは・・・小さくカットしたナチュラルチーズが、たくさん入ったほうれん草(ペースト状)カレーが、おいしかった。オクラのカラ揚げカレー風味は、一瞬何かしら?と思ったが、油っぽくって私の好みには合わなかった。カレー味中心のくどい味の中で・・・素朴な薄い塩味だけのナンを食べると、なぜかホッとしてやさしい気持ちになる。
食べ物の持つ、不思議な効果よ!

食事をしながら、ふと思う。シシカバブーにかぶりつく騎馬民族と・・・稲や野菜を育てて、それを主に食べる菜食民族と・・・性格の上でも、どこか違いが出てくるのでは?と。


(マミー)
車はアジャンタをめざして、北東へ向かう。窓の外を流れる風景は、昨日とそれほど変ることはない。それにしても、どこかしら懐かしさを感じる風景である。これを記録しておこうと思うのだが、走る車から写真をとるのは至難の業。それでも速度の落ちるときがあり、1枚だけだが念願の牛車を記録することができた。P9270385  

頭に荷物を載せた女性をあちこちで目にする。インドに限らないが、女性は実に鮮やかな衣装をまとっていて、単調な道中のアクセントとなっている。それも、別にお祭りに出かけるのではなく、これから野良仕事なのだ。                            


(夕日)

ふつうはバスで観光地間を移動する時など、たいてい疲れから眠ってしまうものだが、今回は車の窓から次々と見える光景に、絶えず心を奪われ続けて、眠くなる暇がなかった。

「わぁ~ビックリ、ねぇねぇ、あれを見てよ、信じられないわ!」
「あっちもすごい事になっているよ!おっ、あれは何だ?」
「あの人、どうしてあんな風にしているの?」
「よしっと!あれは、どうしてもカメラに収めるぞ」P9270392

「げぇっ、この牛たちはどうなってるんだ、早くどけてくれよ!車がぜんぜん動けないじゃないか。あいつら、どうして動かないんだ?」

お牛さまは・・・舗装道路で我が物顔にのさばっている。好きな場所で立ち止まったり、寝そべったり、気儘な流浪のお殿さまである。そのお牛さまを避けるべく、車がおそるおそる道路の端っこを、ゆっくりと通る。どこか変?である。

また大集団の羊や牛の群に車が囲まれてしまって、身動き一つできなくなった時には「えっ!私たちの車、間違って牧草地に入ってしまったの?」と思いたくなるほどである。彼らは、舗装道路を渡るだけじゃなくて、車と対等に長い時間道路を歩くこともある。だから車のクラクションの音などもすっかり慣れきっていて、蚊が刺したくらいにしか思わないのだ。車のクラクションの音が、むなしくあたりに響く・・・そして、私たちは羊の海に溺れかけている・・・。

人やたくさんの荷物をのせた牛車も、自動車と全く同じ道路を仲良く一緒に・・・のろのろと自分のペースを守って走っている。この国では、自動車も牛車もラクダ車も、さらに人が押して動かす荷車(インドでは、後ろから押すのをよく見かけた。これだと荷物を監視できる)も、道路ではすべて対等なのだ。P9270388

家族を脇に乗せた農作業用のトラクターも、よく見かけた。そしてさらに道路の端を、頭に荷をのせた人間たちが歩く・・・。これは高速道路でも普通道路でも、ほとんど同じ光景が見られたのだ。

ああ~不思議の国 インドよ!

人間に飼われている牛たちは、わりあい素直である。大きな左右の角が、祭りの準備でオレンジ色や青色や赤色などの一色塗りや、縞模様の多色で華やかに塗られていたりするが・・・重い荷を引っ張っている姿は、なんだか少し可哀想に見えてきたりする。
飼い慣らされて、こき使われる?日本のサラリーマンの人生を思った。そして野良牛の自由さが、だんだん羨ましくなりはじめていた・・・。

この舗装道路の横では、沢山の羊や牛に混じって・・・農夫もベタッと地べたに座ったり、しゃがんでいたりする。特に何をするのでもなく、ぼぉっとあてどない表情をしている。牛と羊と人間とが、混然としていて区別できない感じさえする。まさしく同じインドの地に住む仲間同士なのだ。

そして、道路から見える田舎の家々もまた、動物と人間が混然として生活しているのだった。暑いせいもあって、人々は家の中ではなくて家の前でお食事を作り、食べてお洗濯をしてくつろいでいる・・・。
その横では、羊や牛が寝そべっていて・・・豚が、ちょこまか動き回っている。犬もいたりする。ああ、まさに宇宙船地球号の仲間たちよ!

道路から田畑に目をやると、色鮮やかなサリー姿の農婦が見えてくるし、頭に荷物をのせて道を歩いている女性たちも、負けずに原色のあでやかなサリーを身につけているので・・・その色彩や微妙な着方を見ているだけでも飽きない。P9270386

この国では、たとえ乞食に近い生活をしている女性でも、色はひどく褪めているものの華やかな色合いのサリーを着ている。そのせいか貧しさの中にあっても、さほどジメジメした感じがなくて、からっとした明るささえ感じられる。P9250136

それはたぶん、インドの人々の貧しさが、生まれた時にすでに運命づけられているカースト制度(最下位)に起因していて、ほとんど逃れることができないからだろうか?
極貧の人々は、むしろ開き直って生きている感じさえする。しかし、それは余りにも痛ましい、哀しい生きざまであった・・・。

ところで・・・インドのすべての階級の女性がこだわり続けている「サリー」とは何だろうか?
テレビのニュースキャスターも、ほとんどがサリー姿。インド旅行中、ずっとこのことを考えていた私である。
たとえばわが日本の伝統的民族衣装の着物は、いまや日常着からは程遠くなっている。P9250137

車から見える光景は、町中に入ると、道路に散らかされているゴミが目についた。そのゴミの山を、薄汚れたサリー姿の女性と豚とが競ってあさっている・・・。これを目にした時の哀しさ・ショックは、とても言葉にならない!
多くの下層の子供たちは、ほとんどが裸足。大人も半分くらい裸足。赤ん坊は、お尻丸出しである。お金のかかるおむつなどは、いっさい使わないのだ。

素っ裸の幼い女の子が二人、外で遊んでいた。
道端の水場付近でも、半裸の大人や全裸の子供たちが、体を洗っていたりする・・・。肌の色が薄いコーヒー色だから、それほどドキッとせずにすんだが。
ここの女性たちは、夜暗くなってから、体を洗うのだろうか?

(マミー)
途中で休憩となり、茶店でミルクティーを飲む。ハエが飛び回り、決して清潔ではないが、半円形の窓を持つ、ちょっと洒落た店であった。

茶店の窓の外に立っている男は?その横の少年は?なんだろうか。同行者がインスタントカメラを取り出して、写真をプレゼントした。少年は珍しそうに自分が写っている写真を見ているが、男の方は見ようともしない。見ないのではなく、見えないのだった。男は手に空き缶を持っている。施しを受けるための入れ物である。茶店の前で一日たたずみ、どれくらいの収入になるのだろうか。写真よりも、1ルピーやった方がよかったのではないか。


(夕日)
インドの貧しさは・・・言葉では、言い表せない!
想像を絶するのだ!
「まさか、ここまでひどいとは」ただ絶句するのみ。

「バクシーシ」(喜捨)こう言って、乞食たちは手を差し出す。しかしこの言葉には、聞こえない振りをするしかない。Picture106blog
22年前のインドの旅では・・・1人の乞食の女の子に「アメ」をあげたところ、突然数十人の乞食の子供たちに取り囲まれてしまって・・・ひどい騒ぎになったことがある。見たところその場ではその子一人しかいないと思ったのに、たくさんの目がどこかから私の様子を探っていたのだ。直後、私が手にしていたアメの袋をめぐって、信じられないような争奪戦が始まっ!

その袋は、あっという間にひったくられて1人の子供の手に渡り、それを追いかけてたくさんの子供たちが、血相を変えて走り回る。なんということだ、もうあんな経験は、二度とごめんだった。
それ以来、よっぽどのことがない限り「バクシーシ」はしないことにしている。

お金を恵んであげること・・・それは勝者の?臭いがある。その立場をとりたくないし、バクシーシの存在を素直に認めたくもないし・・・。とにかく貧困への根本的な解決を、しなくてはいけないのだ!だからこの茶店の前に佇む親子にも、お金を恵んであげる気持にはなれなかった。

でも写真だったらOKの気持だったので、ポラロイド写真を撮してあげることにしたのだ。たぶん、この7,8歳くらいの男の子は、自分の写真なんて、初めて見ることだろうから。そして案の定、その男の子は写真というものが、良く理解できていないようだった。不思議そうな顔をして、写真を見つめている・・・。その横の盲目の父親は、ただ錆びた空缶を、じっと捧げ持って立ち続けている。その男の子は父親の手を握りしめて、あきらめの表情でじっと並んで佇んでいるのだった・・・。Picture28blog

しかし、今考えると・・・マミー氏が言っていたように、あの時はやはり、なにがしかのお金をあげるべきだったのだろうか?これは、別の場面でも・・・何度か考え込んでしまったことであった。
けっきょく、今回の旅では誰にも「バクシーシ」をあげなかった!


(マミー)
再び車に乗り、アジャンタへ向かう。最初に降りたところは、石窟群を見下ろす展望台。石窟よりも、1台だけ停車しているバスのほうが珍しい。これでも走るのか、と思うほど古ぼけている。屋根に荷物台があり、後部には梯子が付いているが、車内に入りきれない乗客はここに乗るのだろう。P9270397

「宝石売り」がうるさくて困る。写真を撮ろうとするのに「プレゼントだ」といって手の上に石を置く。水晶などの貴石なのだろう。石には関心がないから一切無視。手に乗せた石は落ちるに任せる。しつこさにあきれつつ再び車に乗ろうとすると、新聞紙に包んだ物を押し付けて「全部でいくら」とわめいている。

無視して急いで車に乗って、ドアを閉めようとする。さっさと石を引っ込めないと、ただで持っていくぞ。お前たちのおかげで、景色も楽しめないではないか。P9270399


(夕日)
まずは、とある小高い展望台をめざして、車は山道を登っていった。その展望台から見下ろす形で、深いすり鉢状の岩山に囲まれた、こんもりと樹木の茂った不思議な渓谷があり、そこにめざす石窟群があった!P9270400

1819
年、この場所で休憩していた狩りの途中のイギリス人士官が、真下の緑のジャングルの中に、彫刻された美しい岩のアーチが、かすかに見えるのに気づいたそうだ。P9270403
「あ、あれは何だ!こんな深い渓谷の断崖に、不思議な彫刻があるぞ!」
というわけで・・・この偉大なる石窟群が発見されたのだった。

ペルーやメキシコなどでも、深い森林に隠されて永い眠りについていた遺跡が、次々と発見されているが・・・世界中にはまだまだたくさんのすばらしい遺跡が、深い森林や砂に隠されてひそやかに眠っているらしい。

P9270414
(マミー)
展望台から再び山を下り、着いたところはアジャンタ石窟群の入り口である。さすがは名高い世界遺産だ。土産物屋が建ち並び、ずいぶんにぎわっている。やはり物売りがこちらに集まってくる。P9270409
絵葉書は要らないよ、自分で撮るから。写真集もおんなじだ、道をあけてくれ。追いすがる連中を振り切ってやっと登り口にかかると、何ということか、ここには駕籠かきが待っていた。ここは箱根八里か。正確には駕籠ではなく、輿である。より正確にいえば、椅子に2本の棒を結び付けたもの。ひっくり返ったら谷底へ直行ではないか。マハラージャでもないし、足腰は幸い丈夫にできているし。まだおまえらの世話にはならん、自分の足で登るんだ、と日本語で言うが、当然のことながら理解している風には見えない。P9270410

ちなみに、できるだけ英語をしゃべりたくない、という意識が常に働いている。駕籠かきは輿を担いで途中までついてきたが、ようやく諦めたらしい。やれやれ。さて、期待に胸を膨らませつつ、坂道を登ろう。P9270411


(夕日)
突然あらわれたイス式輿には、ビックリした。あんなものに乗る人がいるのか?と思ったが、昨日テレビで見た中国の旅番組の中で、その同じ輿が出てきて、足腰の弱った老人がそれに揺られながら、山頂をめざしていた。老人にとっては、救いの神の輿なのかもしれない。

しかし、いくらなんでも私たちに「輿にのらないか!」というのは失礼ではないか!そんなに老けて見えるの?プンプン・・・
まあ、観光客の少ない時期なので、お金のありそうな人だったら、誰かれと区別なく、しつこく呼び掛けているのだろうが。

「輿」まで出てきたので、けっこうきつい坂道なのか?と思ったが、なんなく石窟の入り口へと着いた。いよいよ、アジャンター見学開始である。
カメラ準備OK!P9270412

           
( ⑧につづく)

 

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2008年9月 7日 (日)

インド旅日記 (6) 豊満な女神たち

   2000年 9月26日 
  ~~~アウランガバードの窟院とミニ タージ~~~

(マミー ブルー記)P9260317_2
アウランガバードの窟院群は、町から少し離れたところにあり、仏教窟である。見事な彫刻が残っているが、その特徴は豊満な女神像であろう。これについては、写真に語ってもらおう。P9260308 P9260300

「ここで修行したら、いい坊さんになれるだろう」と思った。それは、これらの窟院群の環境のすばらしさのせいである。緑の山腹にうがたれた僧院からは、遠くアウランガバードの町を見渡すことができる。静寂を破るものは、岸壁から流れ落ちる小さな滝の音ばかりである。座禅でも組んでいきたいところだが、先を急がねばならない。P9260321


(夕日記)
この洞窟寺院群は、エローラとアジャンタの有名度の陰に隠れて、訪れる人の少ない場所である。それが幸いして、凛とした静けさが心にゆっくりとしみわたってきて・・・とても心地よい。P9260297

ポトポト・・・  ポトポト・・・
小さな小さな水の流れがある。窟院の入口へと岸壁を伝わってきたり、あるいは地中から岩肌にしみ出てきた、その細い細い水の流れは、ここに来て空中に舞い落ちる。

ポトポト・・・  ポトポト・・・
規則的なリズムを作って、やさしい水音となってあたりに響く。
心がすみきって、おだやかな気持ちになる・・・。P9260322


(マミー)
次に訪れたのは、ムガル帝国時代の廟。ビービー・カ・マクバラーと長ったらしい名前が付いているが、そんなことはどうでもよい。かの有名なタージ マハルをモデルに作られたものだ。しかし膨大な国費をかけて建設したあのタージ・マハルのおかげで、この国の財政はすでに傾いていた。そこで、この廟にはそれほど国費をかけられなかったとか。P9260324

中央のドームだけが本物の大理石で、残りは石に漆喰を塗ってある。漆喰は黒ずんで、素人が見てもタージとの差は歴然としている。それでも、青空と雲を背にして立つ八角形の塔は、なんともいえず美しい姿をしている。P9260336

塔というものは重力を考慮して建てられているから、目には見えないが、地球の中心から伸びる直線が塔の中央を貫き、頂上からはるかな虚空へと伸びていることになる。重力に耐える安定感が、塔の美しさを生むのではないか。

だから、昨日見た岩山彫刻のカイラーサナータの石の塔は、如何に時間をかけたにしても、重力を無視しているから美しさにかけると思う。もちろん、彫刻の好きな人が見れば別な考え方をするだろうし、人それぞれ自分の感覚があるのは自然なことである。筆者としては、ガイドブックの賛辞をそのまま鵜呑みにするつもりはない。残念ながら、あのエローラのカイラーサナータ寺院は好みに合わない。


(夕日)
ビービー・カ・マクバラー廟を造った王は、父親の王が巨額の金をかけて造ったタージ・マハルを模倣して、同じく自らの妃のためにもこの廟を造ろうとしたのだが、なにぶんにも建築費が足りなかった。そこで今はやりの?手抜き工事である。
後半の旅日記のアグラ城のところで話すが・・・この父息子の間には、大きな確執があったのだ。そして、父王は息子によって城の塔内に幽閉されたのだ!そして父王は・・・

じつは最初、このビービー廟の存在を知った時、ひどくがっかりした。
「えっ何?これって、タージ・マハルそっくりじゃない?そんなぁ~、先に本物を見たいのに!こんなものを見た後は、本物を見た時に感動が薄れるわ。嫌だなぁ!」
写真を見た時点では、余りの酷似にショックさえ受けていた。P9260331

しかし我々観光客は、ともかく観光プランに沿って動かなくてはいけない。不安な思いで、しかたなく見学に出かけた。
ガイド氏は「イヤイヤ、大丈夫です!タージ・マハルの美しさは、このそっくりさんを見た後でも、決して変わりませんよ。その美しさには、大きな感動を受けるはずです!」と、慰めてくれた。

でも私は、やはり不安だった。なにしろ20年来の初恋の存在の、贋物に出逢うようなものだから。「本物がいいよぉー」と心でずっと思っていた。


(マミー)
黄色い衣をまとった一団(僧侶)をさりげなく撮影しようとしたが、やはり写真を嫌うのだろうか、カメラやビデオを避けるように、木陰に隠れてすれ違って行った。P9260326

廟の入口の門は六角形の建物で、イスラム式のアーチを持っている。内壁には美しいタイルが貼られ、高いところにはさまざまな形の美しいくぼみが付けられている。征服王朝がウズベクから持ち込んだものである。春のウズベキスタンを思い出していた。P9260333 P9260332

この廟は、市民の憩いの場なのだろうか、大勢の人が行き交っている。塀の外を見ると、きれいな芝生が広がり、一群の若者が、座ったり寝転んだりしている。カメラを向けるとポーズを取ってくれる。この町には大学があるが、多分そこの学生たちだろう。P9260361


(夕日)
お坊さんとか・・・ともかく、ふつうにはビデオカメラを向けにくい対象の場合、私の採った方法はこうである。マミー氏に、その被写体の近くをゆっくり歩いて貰うのだ。「笑って!」「もう少し右!」とか、いい加減なことをいいながら、一見はマミー氏を撮るように見せて・・・実際には目的の被写体を撮るのだ。望遠を使えば・・・かなりバッチリと撮れる!

この手を使って、かなりいろいろな人々を映像に収めることができた。最近のビデオカメラは、大きな液晶画面をチラチラ眺めるだけでも、きれいな映像を撮ることができるので・・・通常のカメラよりも誤魔化せるのだ。P9260352


見学者の中に、美しく着飾った若い夫婦が、生まれて間もない赤ちゃんを連れている姿が目に入った。ビデオカメラを向けると、うれしそうにポーズをとって下さる。こちらの人達は、私たち外国人観光客がカメラを向けると、とても喜んで下さることが多い。これが日本だったら?たぶん「何よ、私たちを撮したら承知しないわよ」と、言われかねない気がするが。P9260354

この廟は、市民の憩いの場所となっているらしくて・・・本当にたくさんの家族が連れ立って見学にやってくる。誰もが、精一杯のおめかしをしている。こんな場所へ高い入場料を払って来られる人達は、カーストの上の方の人々が中心なのだろう。
その日その日をやっと食べている貧しい人たちは、とてもそんなゆとりはないのだ。

廟の脇にある広い芝生で、円座になっていた大学生らしいグル-プは、とても気さくで、「○△!」「○△××?」と、カメラを構えた私たちの方に向かって、手を挙げたりポーズをとったりして呼びかけてくれた。女性も混じっている。この町には、大学があるのだ。P9260351

ウズベキスタンで懲りたので・・・大勢の人たちのいる場所では、ポラロイドカメラを出さないことにしていた。あの時は「私を撮って!」「僕も僕も!」「いやいや、俺と家族を撮ってくれ!」と、私の周りに数十人の人々がどっと群がり、身動きできないほどだった!

廟の中を見学している家族は、カメラ持参組が多かったものの・・・廟の周りの屋台付近には、撮してあげたい人達がたくさんいた。人ごみ騒ぎはもうごめんだったので、今回はポラロイドカメラで写してあげることに、ひどく慎重になってしまっていた!P9260367



(マミー)
廟の近くには屋台が並び、椅子がいくつも置かれている。屋台にはにぎやかに文字が書いてあるが”WELL COME”以外はヒンディー語だからわからない。P9260364
道のむこうには売店がある。ペプシコーラの看板もあるが、店先に積み上げられているのはコカコーラ。真っ赤なパラソルもコカコーラだし、どうもペプシは旗色が悪そうだ。P9260368

屋台では飲み物以外に、簡単な食事も提供している。麺類のようなものが何種類か並べてあるが、豆とか米とか、それぞれに材料が違うらしい。P9260369b

この後、ガイドが特産の織物工場に誘うが、どうもこのガイドは胡散臭い。織物を買わせて、リベートを稼ぐつもりだろう。多少疲れてもいるので、真っ直ぐホテルへ帰って休むことにした。部屋へ戻って間もなく、激しい雨音が聞こえ出した。早く帰ったのは正解だった。明日の朝はいい天気になっているだろう。


(夕日)
(今回のお客さんは、ずいぶんケチだ!)ガイド氏は、そう思ったことだろう!しかし私たちは、お土産を最小限しか買うつもりがなかった。狭い我家の中には、これ以上何かを飾るスペースもないし・・・ごく親しい人たちへのお土産にしても、ほんの少しだけ買う予定だった。
私たちは、買う気もないのに、織物工場と併設売店(高価な品物ばかり?)の見学で、大切な観光の時間を使う気にはなれなかったのだ。P9260287

しかし、これが団体旅行だったら・・・有無を言わさず、連れて行かれたはずだ。二人旅行のおかげで、時間をとても有効に過ごせた。団体の場合、トイレ休憩とお土産物買い休憩に、信じがたいほど時間をとられてしまう。私たちは、この後も二人だけの特権を生かして、いろいろと予定外の場所を訪問したりしたのだ。これについても後で少し話そう。P9260288

観光の場所への途中で、何回か小さなホテルでトイレ休憩をしたが、とある小さなホテルの売店で、気に入った民芸土産品をかなり値切って買った。日本円にして3000円ほどなのに車に戻った時、数人のお店の人がわざわざ見送りに出て来てくれたのには、びっくり。

店主が私たちの車の運転手さんに、小さな紙袋をそっと手渡しているのにも気づいた。
「ここに、お客さんを連れてきてくれてありがとう。またよろしく頼む!」
こんなお礼の意味を込めた、なにがしかのお金であろうか?たった3000円とは言え、インドの庶民にとっては、結構な金額なのだろうし・・・ちょうど観光客が少ないオフシーズンだったようだ。


観光を終え、ホテルのお部屋でくつろいでいたら・・・とつぜんに、大きな雨音。
でも、その激しく降り続いた雨のおかげで、翌日のアジャンタ観光は思いがけない涼しさの中で・・・十分に楽しむことができた。
雨は、大気や木々の埃を洗い流し・・・熱気を見事に奪ってくれる!しみじみと、雨の効用を感じた日でもあった。

さて、アジャンタでは・・・?

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