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2008年9月 5日 (金)

インド旅日記 (5) 不安な寺院

2000年 9月26日                
  ~~~エローラの石窟寺院群~~~

(
マミー ブルー)
現地ガイド氏は、眼鏡をかけ、中学校の先生みたいな感じである。
「懐中電灯はありますか」と尋ねられたので、腰のマグライトを示すと「貸してください」ときた。懐中電灯くらい用意しておけよ。
P9260173
駐車場から一旦南へ下り、南端の仏教石窟群から見学となる。
雨季なので、エローラの山は緑に包まれ、どこかしら水音も聞こえている。道路には日光をさえぎるものはなく、照り返しもあって暑い。

山腹に、仏教石窟がいくつも口を開いている。P9260172P9260174中へ入ると暗い空を 飛び回るものがある。鳥かと思ったが、目を凝らすと天井から蝙蝠がぶら下がっている。窟院に入ると異臭がしたのは、蝙蝠の排泄物らしい。
すばやく走りすぎる影は、よく見えないがどうやらリスらしい。
P9260189
岩盤から切り出した柱や美しい彫刻などの記述は、ガイドブックに任せておこう。
すばらしいのは、人が切り出した空間から見る外の世界である。緑の樹海が広がり、青い空に白い雲が浮かんでいる。こうして旅人は、古代人と共通の体験をすることになる。P9260184


(夕日)
いよいよ、22年来の憧れの地、エローラ石窟群である。22年前には、この地に旅するツアーがきわめて少なかった!

聖なる地を求めていた仏教僧たちは、ほとんど人の気配のない山奥のこのエローラの地なら、心静かに神と対話しながら修行ができると思ったのだろうか?
そしてたぶん、とびきりの彫刻の才を持った僧侶たちが、この岩が柔らかくて彫刻に適している・・・と、見てとったのだろうか?
しかし、この岩山を上からノミと金槌だけで、くりぬきながら彫って いくということ!
何という驚異的な、とてつもない発想だろう!宗教が持っている大いなる力を、まさに痛感する!

この仏教石窟群のかなりは、僧院となっていた。内部は思いのほか涼しい。すでにこの洞窟内部の涼しさについては、チュニジアの穴居や地下部屋で体験済みである。ここはなかなか快適な思索の場所だったかもしれない。今でこそ、コウモリや小動物の棲みかになり果てているが。P9260190

そして、またしても思うのだった・・・鳥たちの自由さについて!
彼らはどんな世界的文化遺産価値の高い建造物であろうとも、誰にも邪魔されずに棲みつくことができるのだ。国境線も全く関係ないし地球上を、どんなどころへでも自由に飛び回ることができるなんて!
それも、身一つで軽やかに~~!

両側をこの仏教僧院群に囲まれて、小さな洞窟礼拝堂があった。P9260176 壁全面に仏教彫刻が施されているが、それ以上に感動したのは、内部の音響効果!その時そこにいた観光客は、我々2名だけだった。ガイド氏が「ここは、祈りを捧げた場所です。祈りの声が、美しく響き渡るように造られています。私が、少し歌ってみますね!」

ウ~~~ルル~~ルル~~ウルウル ル~

透明なテナーの美しい声が、その僧院に響き渡る 
これはヒンドゥー教の祈りの歌だそうである。

私も、急に歌ってみたくなった!ここでは、やはり歌曲が合う。
高校時代に習ったイタリア歌曲「カロミオベン」を数節だけうろ覚えの原語で、歌ってみた。
すばらしい音響の良さ!声が信じられないほど、伸びやかに響き渡る。自分の声とは思えないくらい、美しく透明に響く・・・。

そこで、もう一曲歌ってみたくなった!そこにいるのは私たちだけ。
大好きな歌、シューベルトの「アヴェマリア」を、心を込めて歌い始めた。声が次々と壁に反響しては、再びその音がまたまた反響する。つまり音が微妙にずれて、三重四重に重なりあって僧院に響き渡る。到底自分の声とは思えない神秘的な音の流れ!

当時はたぶん、声の良く通る美声の男性が、ここで祈りの言葉や宗教歌を歌ったのだろう。その音色は、そこにいたすべての僧侶たちの心にしみ透ったことであろう!

こんなステキな体験ができたのも、たまたま観光客が少ない時期で、しかも二人旅だったからだ。たぶん、もう二度と経験できないだろう。P9260185


(マミー)
エローラ石窟群の目玉は、カイラーサナータ寺院である。P9260206_4 
奥行81メートル、幅47メートル、高さ33メートルの巨大な建造物は、実は一枚の岩盤から削り出した彫刻。完成までに150年を要したというが、石材を搬入して組み上げるのとは違い、作業できる人 数がかなり制限されるから、それくらいの時間がかかるのは、当然の結果なのだろう。単純に数字だけに驚嘆してはならないと思う。P9260222

スペインの偉大なる建造物、サグラダ ファミリアも完成まで同じくらいの間がかかるだろうが、その規模はまったく異なっている。このカイラーサナータ寺院は彫刻であるから、天井も塔も、巨大な石のゾウも、重力をあまり気にせずに作られている。そのためか、どことなく不安が漂う空間であった。不安感をさらに掻き立てるのは、太陽光を吸い取ってしまうような玄武岩の黒い岩肌だろうか。

当時、普通の人は来ないこのような場所で、暗い石を刻み続けた一群の人々は、いったい何を求めていたのだろうか。寺院の底から見上げた青空に、その答があったように思う。


(夕日)
このカイラーサナータ寺院は、まさしく百聞は一見に如かずである!
この寺院彫刻の芸術的、技術的なすばらしさを言葉で表現することは不可能である。これは、とうてい人間わざとは思えないのである。それこそ神わざとは、こんなことを言うのであろうか?
神を信じる心が、こんな場所にこんな途方もない芸術品を彫らせたのであろう!P9260238P9260231

ともかく私もマミー氏も、ただただ言葉もなく、巨大な芸術作品を前にしているのだった。そして、カメラを手に無駄な挑戦を試みた。この偉大さをカメラで記録することなんて、到底できっこないのに!

P9260281 


私たちが深い感動に浸っていたら・・・ガイド氏が「こちらへどうぞ! なかなかおもしろい彫刻がありますよ」とニヤニヤ・・・。「?」と思って、ガイド氏についていくとその寺院の壁に彫られている一連の宗教的彫刻の、とある彫刻群の前に連れて行かれた。
その彫刻群を見て、愕然!
なんと男女の性的な図が、そこには彫られてあったのだ!

ヒンドゥー教には繁殖の思想があり、それゆえにそんな彫刻がおおらかに太陽の下で、人々の目にさらされている・・・とは本の知識では知っていたが、実際に目にすると、どぎまぎしてしまう。ともかくも、これを彫ったのも僧侶のはずだ!
それが低い位置に彫られているから・・・子どもたちも、これを目にするだろう。これぞまさに、インド式性教育なのだろうか?

P9260211
さて・・・この一枚岩に彫られた偉大な巨大彫刻寺院を見たあとで、最近の暗い世界情勢を思って、急に何だかやりきれない重い気分になった。
というのも信仰心は、こんな偉大なものを人間に創造させる一方で、他方では信じがたいような破壊と殺戮をも、同時に行わせるのだ。

ああー!宗教とは、信仰とは、いったい何なのだろう?
無信仰の私には、まるで理解できない!P9260250

ともかく・・・最近のあちらこちらの戦闘は、宗教がらみが多い。
中東情勢も、今朝のニュースからは、和平など絶望的な感触だ!
人を幸せにしてくれるはずの宗教が、なぜこのような醜い殺戮へと人の心を駆り立ててしまうのだろう?深い信仰心ゆえの排他性!それが、次々と引き起こす悲劇!
このインドでも、ヒンドゥー教がもたらす大いなる哀しみ、不可触民の存在!

ただ・・・少しの救いは、イスラエルの聖地と違ってこのエローラの場合は、3つの宗教が仲良く、混在していたということだ。とはいえ・・・おのおのの建造物が彫られた時期は異なるようだ。それに、それぞれの寺院の場所が、イスラエル聖地ほどは近接していない!

それにしても、人類は偉大なのか愚かなのか?
それは・・・あと100年後の地球の有様をみれば、わかるだろう?


(マミー)
カイラーサナータ寺院の入り口には、若い娘たちが10人くらい立っていた。これから見学をするらしい。P9260251b その後からも、観光客がここへ集まり始めている。我々はその喧騒を逃れるかのように車に乗り込み、少し離れたジャイナ窟へ向かう。

30窟から34窟まではジャイナ窟である。規模はそれほど大きくないが、美しい彫刻が残されている。柱にも繊細な文様が刻まれ、見ていて飽きない。他の二つの寺院群と場所が離れていることもあり、ほかに観光客はいなかった。ゆっくり見学し、十分に写真を撮った。P9260257_2


(夕日)

ジャイナ教については、じつはこの時まで何も知らなかった!

この宗教は、仏教とほぼ同時期に同じインド国内で成立したそうだ。ジャイナ教も仏教も共に、インド教と言われるヒンドゥー教から革命的に生まれたらしい。しかし、仏教と違ってこのジャイナ教は、インド国外には広がらなかったそうだ。P9260259

ジャイナ教は「苦行によって過去の業を滅ばして・・・新しい業が入り込んでくるのを防がなくてはいけない」と説く。
この業とは、仏教的な業と似たような意味であろうか?その苦行とは「出家して徹底して不殺生・無所有の生活をせよ」と言うことらしい。P9260267
P9260272 しかし・・・こんな教えが、世界中に広がることは無理だったのではないか?でもこの業の考えと、ヒンドゥー教の人々が怖れる不浄の考えと、似ているのかもしれない。

いろいろと小難しいことを書いているが、インドを旅する時にはこれらのことを知らないと、インドという国や国民を本当には理解することができないのだ。単に観光地を旅したことにしかな らない。しかし私たちの旅の目的は、遺跡などの観光をしながら、世界中の人々の生活や心にじかに触れたい!ということである。P9260253 P9260254

「インドを旅すると人生観が変わる!」とは、よく言われることだが、それはこの辺にありそうである。ともかくインドを旅していると「人生とは?生きるとは?幸せとは?」「他の生き物と、人間との関わりは?神の化身の動物とは?」「宗教とは?ヒンドゥー教とは?カースト制とは?」 こんな疑問が、次々とわき上がってくるのだ。これまでに、たくさんの芸術家や思想家やさまざまな人が、インドを訪れた後にその作風なり思想なりを変化させたりしている。


さて、もう少しだけ、ヒンドゥー教について書いてみたい。この宗教のことを知らなくては、インドが理解できないかもしれないと思う。
ヒンドゥー「Hindu」とは「India」の語源だそうである。このインド教とも言われるヒンドゥー教は、単なる宗教というよりも、インドの社会生活のあらゆる面と複雑に密接に絡み合っていている。さまざまな諸観念・思惟形式、そしてカースト制という社会の構造や慣習等の、一切の生活様式を包含する一つの世界なのだそうである。

インド人は、ヒンドゥー教信者になるのではなくて、ヒンドゥーとして生まれてくるとさえ言われている。ヒンドゥー教では、前世、現世、来世が輪廻的に結びついている。赤ん坊は、前世ですでに決められていたカーストに生まれる!結婚も、原則として、同じカースト内で行われる。  他カーストの者と一緒に食事をすることや、低いカーストの者から飲み水や料理された食べ物を受けることも、忌避されるのだ。

カーストは、しばしば特定の職業と結びついていて、それを世襲する。つまり職業を見れば、属しているカーストがすぐわかることも多い。
このインドの複雑な社会構造と、そして、不可触民という人間扱いすらされない?存在とか、私たちには理解できないことがたくさんあるが、この状態が今後もずっと、このまま続くのであろうか?P9260198


さて、話はガラッと変わって・・・

なんと私は今回の旅で、初めて写真のモデル体験?をしたのだ。たぶん、これも自由な二人旅のせいだろう。

「あのぅー、日本の方ですよね。私と一緒に、写真に写って下さいませんでしょうか?」
「えっ!私?(そんなぁ、若い美女ならともかく)かまわないけれども」
笑顔の美しいインド人の若い美女と並んで・・・私もニッコリ。

そしてその後、何度かそんな風に声をかけられて、インドの方と一緒に写真に写ったのだった。これはオジサンよりもオバサンの方が有利だったようだ。というのもマミー氏は、一度たりもそのように声をかけられなかったから!たぶん、団体旅行だったらこうはいかなかったかも。
いつもだったら、こちらの方が逆に現地の女性たちに「写真のモデルになって!」と頼みこむのだが・・・こんなことは、全く初めて!

あの美女は、帰宅してから家族にこう説明したのかしら?
「エローラの石窟で、日本人のオバサンと出逢ったわ。それで、記念に一緒に写真を撮ったのよ。ホラ、この人よ。日本人って、目が小さくて顔ものっぺらぼう。英語も下手くそだったわ。ふふふ・・・」


(マミー)
後で気が付いたことだが、この日この地は相当に暑かったらしく、背中がびっしょり濡れていた。窟内は涼しかったと同行者は言うが、そのようには感じなかった。
どうやら彫刻の洪水に心を奪われて、暑さも涼しさも忘れていたらしい。P9260262

そろそろ空腹でもあるし、喉も渇いたし、ホテルへ戻って昼食とする。
飛行機ではあれほどまずかったインドビールが、歩き回った後では実にうまい。ただし、日本円にして1本400円程度だから、インド国 民のGDPから見て、実質4千円くらいの価格になる。ホテルのビールは、お金持ちだけのものである。


(夕日)
インドの貧困を目の当たりにしてからは、私たちは非常にケチになった!ともかくホテルの料金は、現地料金ではなくてヨーロッパ並の料金となっているから・・・飲物類は日本で飲むのとほぼ同料金である。P9250153

ホテルのレストランで飲むジュース一杯分(日本円にして300円前後?)の料金で、インド人用のお店ならミネラルウォーターが10本以上買える。そう思い始めると・・・なかなかお金が使えなくなる!
ホテルのお食事では、お酒の飲めない私は、もっぱらミネラルウォーターを注文した。1リットル入りペットボトルで、日本円で125円~150円である。余った分はお部屋に持ち帰って、ポカリスエットに変身させてから冷蔵庫で冷やして、翌朝魔法瓶につめ替えるといいのだ。

ポカリスエットは体液に近い飲み物なので、汗をかいて体液が失われた時には最適なのだ。ポカリスエットの粉末をスーパーで見つけてから、海外旅行へはいつも忘れずにこれを持参する。そして、現地でミネラルウォーターを買ってその場で作るのだ。

さてと・・・そろそろカレー料理にも飽きてきた。毎日同じような内容のメニューばかり。
「インドを旅する人は、まず一般的なカレー料理を食べたがります。それで、どこのレストランでも、同じようなメニューになってしまうのですよ」

                             (つづく)        

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2008年9月 3日 (水)

インド旅日記 (4) 牛さん、どいてよ

9月26日 
  ~~~アウランガバードの朝~~~

(
マミー)
部屋のカーテンを開けるのを待っていてくれたかのように、雲を赤く染めて林の上に太陽が昇り始めた。薄く雲がかかっていて美しい。金では買えない贅沢を、しばらくの間楽しんだ。ゆっくりと朝食を摂り、身支度をしてロビーで待つうちに、白い乗用車と2人のガイドが到着する。P9260167


(夕日)
旅の楽しみの一つは、夜明けの静かさの中で、太陽が昇る瞬間をじっくりと味わうこと・・・。
マミー氏はカメラを構え、私はビデオカメラを構えて、その時を待つ。

薄暗闇の中に・・・オレンジ色の光が燃えたち・・・やがてあたりを朝の柔らかい光が包む・・・。

あっという間に神秘的なドラマは終わり、朝の喧噪が始まる。一番鶏が鳴き、小鳥たちが一斉に朝の歌を合唱する。Picture18blog

私が今までに見た最高の美しさの朝焼けは。ヒマラヤ山脈の頂に昇る朝日だろう。頂上の純白の氷がオレンジ色に染まって・・・そこを中心に金色の光が放射線状に広がり、まさしく神々しい感じであった。若き日の私は「ヒマラヤに昇る朝日と夕焼けが、世界で一番美しい」という女流詩人の言葉に、その時ネパールの旅を決めたのだった!

しかし夕焼けの方は、朝焼けほどじっくりと見られないことが多い。というのも夕方の時間は、たいてい車で移動中・・・という場合が多いから。


さて・・・この朝焼けの美しさに、幸せな一日の始まりを予感して、朝食の支度が整ったレストランへと向かう。
うれしいことに、朝はいつもバイキングであった。だから、大好きなものだけをたっぷりと食べ流ことができる!私の日常での朝食は、挽きたてのブラック珈琲とチーズとクラッカー一切れであるが・・・旅をするとよく動くせいか、朝からたくさん食べられる!それも大好きな野菜サラダと果物が山盛りとあっては、無理しても大量に胃に詰め込んでしまう。

インド独特の酸味の利いたヨーグルトやチーズも美味しい!絞りたての生ジュースも!
コーヒーはインスタントだったが・・・お部屋へ戻れば、日本から持参の本物の珈琲が飲めるので、これは気にならなかった!
朝なのにバイキング料理の種類は、けっこう多彩であり・・・インド料理を中心に、卵料理(その場でオムレツなどを焼いてくれる)あり、コーンフレークあり、中国式お粥あり、ヨーロッパスタイルの肉類あり(なんと外国人用のホテルでは、牛肉、豚肉料理などもある。これは、インドの牛ではなくてオーストラリアからの輸入肉?それとも、内緒で現地調達?)で、お肉大好きマミー氏の目が喜びに輝いていた?ようだ。

さらに、ケーキ類のデザートまであるのだ。
しかし現在ダイエット中のマミー氏は、かなり遠慮しつつ、あれこれ悩みつつ・・・お皿にお料理をのせていた。もしも私という監視の目がなかったら、一体どんなことになっていたか?
ともかく二人とも朝食で、一日分の食事の半分ほどを取ったのだ。

今回の旅では、マミー氏のカメラによる食事内容記録が始まった。


(
マミー)
朝の街は、予想どおりの混雑である。自動車とオートリクシャーが先を争い、オートバイがその間をすり抜け、一瞬の隙間を縫って歩行者が横断する。あきれたことに、野良牛はこの喧騒とはまったく無関係に、自分の意思のみに従って歩き、時には寝そべっている。P9250165

車を運転する人たちは、隙があれば前に出ようとねらい、絶え間なくクラクションを鳴らし続ける。すばらしき無秩序の世界である。市街地を過ぎると車の量は少なくなるが、野良牛や飼い牛の傍若無人振りには変りがない。牛に遠慮して停車すると、その脇を、巨大な角を振りながらゆっくりと水牛が通り過ぎる。わが人生、こんな至近距離で水牛を見たことはなかった。P9250100

人に飼われている牛の角が鮮やかに塗られているのは、8月に行われた祭りの名残である。祭りの間、牛にはゆっくり休養が与えられる。祭りの後は、もちろんこき使われるのである。


(夕日)
しかし・・・牛にとっては、人間に飼われてこき使われて一生を送るのと、自由気ままに道端でゴロリと寝そべりながら生きるのとでは、どちらが幸せであろうか?
たぶん、この自由を求める気持は、路上で生活する人々とも似ているのかもしれない。狭いどこかの汚れた施設で、細々と暮らすよりも、誰にも束縛されずに、道端にオンボロテントを作って暮らす方がいいのだろうか?

ともかく信号も何もない道路を、人間たちは車の往来をさして気にせずに平気で渡る。中央分離帯の小高い盛り土さえも、よじ登る。サリー姿の女性でさえもよじ登って横断するのだ!
そして野良牛や羊たちは、もっとひどい。車が来ようと何であろうと、自分の意志にのみ従って、ゆったりと道路を渡る。

羊は大集団だから、車が羊たちに囲まれて、しばしば身動きできなくなる。
野良牛の方は、道路の真ん中でもどこででも、気儘に寝ころぶ。彼らは、車を自分と同じ仲間と思っているのだろうか?車に轢き殺されることがあるなんて、夢にも思わないようだ。それに実際のところ、野良牛の方に道路優先権があるようだ。人間の方が、お牛さまの動きにあわせてじっと耐えて「道路を移動して下さる」のを待つのである。

そこへ、ときどき道路清掃係の豚も混じり・・・時にはニワトリも登場して。

さらに後半の旅になると、これに野生ラクダも混じったのだった!
ああー インドばんざ~い!


(
マミー)
車の左手に見えるのは、ダウラターバードの砦である。道路の脇には城壁が残り、高い塔と潰れた四角錐のような砦がそびえている。この四角錐は、短い四角柱の上に乗っている。この形は自然のものではなく、人間が鑿(のみ)で削り出したものだとか。
これに登るコースをガイドが薦めたのだが、ずいぶん高額なのでやめておいた。路傍から砦の全景写真を撮っただけで、けちな客を乗せた車は先を急ぐ。P9260168


(夕日)
焼けつくような日差しが、冷房の効いた車を降りた私の全身に降り注ぐ。
いよいよ本格的な暑さとの戦いだ!顔には、たっぷり日焼け止めクリームを塗ったし、つばの広い帽子をかぶっていて、さらにUV防止剤入りの黒い雨天兼用のパラソルをさしている。P9260171
一方インドの人々は、ほとんど無防備。ごくたまには、黒い雨傘をさしている女性や老人を見かけることがあるが。

さて、周りの風景の説明をして下さる現地ガイド氏の額に、赤い印がつけてあるのに気づく。
「結婚した女性が、髪の分け際に赤い色を塗るのは知っていますが、あなたの場合のこの額の赤は、どんな意味があるのでしょうか?」
ガイド氏のお話によると、これは、朝の祈りの時につけるのだそうだ。
「我が家の中庭には、ヒンドゥーの神を祭った小さなお宮があります。毎朝沐浴した後、そこで神に祈ります。その祈りの前に、必ず額にこの赤い印をつけるのです!」

ヒンドゥー教と沐浴は、切っても切れない関係である。あのガンジス川の沐浴風景は、余りに有名である。そして私も22年前のインド旅行で、このガンジスの沐浴風景を見て感動したのだった。


ここで少しだけ、ヒンディー教の浄・不浄思想について触れておくと・・・・・ヒンディー教では、自然界のあらゆる事物(人間も含めた)を、浄・不浄の観点から眺めるのだ。カースト間の上下関係は、まさにその浄・不浄の観点から並べられた序列なのだ。

乞食や路上生活者等は、カースト制度にすら入らない不可触民であり、日常的接触も避けるべきであるとされている。結婚、食事、職業などあらゆる場面で、自己のカーストを穢れから守るために、煩雑な規制が作られているのだ。いまだに、カーストの違う同士が、結婚できずに心中するケースもあるそうだ。
このカーストの問題は余りに重く深く、その解決は絶望的な気さえする。P9270390

さて現実問題として(たとえ上のカーストの人々であったとしても)日常生活において穢れから完全に逃れることは誰しも不可能である。そのために極度に浸透してきた考え方が「沐浴」「断食」などの複雑な浄化儀礼なのだそうである。こんな訳でガイド氏も、前日の穢れを浄化するために、毎朝「沐浴」して身を清めた上で神に祈るのである。P9250118


それにしても・・・インドの国にヒンディー教がある限り、貧富の差が解消したり、最下位カーストや不可触民が幸せになれる道はなさそうである。これが、今回の旅で痛いほど心に感じた、深い深い哀しみであった!


(
マミー)
南国らしく、路肩に茂る街路樹はガジュマルである。幹が赤く塗られているのは、政府の財産であることを示している。
「交通事故はありません」とガイドは言ったが、大破した中型トラックが路上に鎮座している。どこの国だって、自動車がある限り事故は発生するに決まっている。このガイドは嘘つきらしい。もう少し行くと、今度は大型トラックが見事に横転している。"SAFE EXPRESS" と車体に書いてあるのには笑ってしまった。雨期の湿気は、事故車を見事に錆びさせている。

道の両側は見渡す限り緑の畑や草原が広がり、樹木が茂っている。街路樹が美しい緑のトンネルを作るところもある。ところどころに小さな町や集落があり、市が開かれ、日々の生活が営まれている。物が売られ、牛車が通り、人が歩いている。
こういう風景全体が、どことなく子供の頃の日本を思い出させる。羊の解体に見物人が集まっているのはいただけないが。


(夕日)
カジュマルの太い樹木が道路の両側に枝を広げている、緑のトンネルの中を車が走る時、日差しはやわらかくなるし・・・とても、爽やかでいい気分になる。その太い幹の赤い色のすぐ下は、暗闇で見やすいように白色を塗ってある。街灯のない道で、政府の大事な樹木を守るためらしい。でもそのお陰で、樹木の緑と赤と白が、道を美しく飾り立てている。P9270389
ガードレールは、石を積んで素朴に造ってある。

村々は、10月のヒンディー教の大切なお祭りの準備中で、とても華やかであった。
ヒンディー教の寺院は、きれいに飾り付けが出来上がっている。村によっては、なんと移動式メリーゴーランドが作られていたりする。村々を通り抜けるたびに、なにか、村人たちの祭への興奮が伝わってくる感じがして、こちらもなんだかそわそわし始めた。

その賑わいの一方で・・・人里離れたさびしい道筋で、道端に一種類だけの野菜とか果物を大きなザルに入れて、売っている人がいた。ろくにお客もいないのに、地べたに座って・・・一日中じっと待ち続けている。そばにあるのは、棒にひもを掛けた原始的な天秤が一つ。

道でたまにすれ違う村人の女性たちは、そのほとんどが荷物を頭の上にのせて、両手は別の用に使って・・・ごく普通の早さで歩いている。よく落とさないものだ!P9270386

赤ん坊を抱っこして、頭に荷物をのせている若い母親。
大きなお鍋の上に、さらに食器をのせたお盆を二段重ねにして・・・姿勢良く歩いている女性たち。時折、手を頭の上の荷物に添えることもあるが、ほとんど手放しで歩いている。これは、アフリカでも見かけた光景である。P9270387


(
マミー)
時おり牛車とすれ違う。牛車も都会ではゴムタイヤを履いているが、このあたりでは由緒正しい木の車輪である。どれくらい由緒正しいかといえば、実はこの運搬具、古代のインダス文明の頃からまったく変化していないのである。牛は草があれば生きていける。草はそのあたりに生えている。わざわざ高価な内燃機関を使い、これも高価な石油を燃やすより、はるかに安上がりなのだろう。P9270385
同じような経済原理が働くため、どこへ行っても自動販売機を目にすることはない。この国では労働力も安いのだから。


(夕日)
田舎道をのんびりと進む牛車は、じつに絵になる光景であったが、マミー氏はなかなか美しい写真が撮れず、イライラしていた。車の窓を開け身を乗り出して、やっとシャッターチャンスをつかんだと思ったら、私たちの乗っている車が急にスピードを出してしまったりして、かなり苦労していた。

その点、動きのある物を撮る時や動いている車から風景を撮る時は、ビデオカメラの方が有利である。私は、何の苦労もなく牛車をカメラに収めた!
さらにビデオカメラの良さは、町のざわめきがそのまま音声記録できることだろう。それに大きな遺跡や、360度の視界を撮る時も便利だ。

さて田舎の野良牛は、お腹が空いたら道端の草を食べるだけでいいが、都会の野良牛はどうするのだろ?公園の草でも食べるのだろうか?

旅の途中でのトイレ休憩は、私たちの泊まっているホテルよりも、はるかにランクのおちるホテルを利用させて貰った。従業員たちは、宿泊客でもない私たちを嫌がらず、むしろ好意的に迎えてくれた。うれしかった!


(
マミー)

路傍に見える建物もさまざまである。P9270384 豊かそうな石造りの農家もあるし、廃屋に近いような家もある。それはまだいい方で、明らかに最下層と思えるようなバラックの集落もある。天幕やシート張りといったものも見える。実は、こういう現実を目にしても、同行者が思っているほどのショックはない。日本にいても、朝の散歩コースにはホームレスが大勢いる。

これは今でも忘れられない光景だが、新宿の地下街で、カレーの残飯を手ですくって食べている男を見たこともある。別にインドだけが特別ではないと思う。逆に「業病を背負った不幸な人々」が、今でもインドにいるだろうと思っていたが、そういう光景には出会わなかった。ハンセン氏病は通院で治る病気になっているから、インドでもそういう悲惨なことはなくなっているのだろう。


(夕日)
ハンセン氏病は、今では、あまり怖い病気ではなくなっている。そういえば・・・22年前のネパールの空港前広場で、何人かの象皮病の人々が物乞いをしていたことを思い出した。彼らの裸足は、まさしく象足の様にふくれて爛れていて目を背けたのだった!
あの病気は、今はどうなっているのだろうか?

田舎の貧しい家の屋根には、小石がたくさんのせてある。たぶん、風で屋根が飛ばないようにだろう。ときどき、古布で屋根が補修してある。
屋根と壁一面に草花が咲き乱れている家が一軒あった。その家の前で、女性が大きなタライで洗濯をしていた。なぜか、心がふわっとあたたかくなった。貧しいながらも、心にゆとりのある生活が感じられたから。Picture26blog


(
マミー)
やがて車が止まった所は、今日の目的地「エローラの石窟群」である。P9260172 インドでは金持ち用であろう白い乗用車から、35度を超える熱い空気の中へ踏み出す。シーズンを外れているため、観光客の数はそれほど多くない。
売店にもあまり客はいないし、夏休みなのか、物売りたちの数も予想外に少ない。

意外なのは、ガイドブックに書いてあったのとは違って、乞食の大群がいないことである。追いすがる物売りを振り切り、しつこいフィルム売りには「デジタルカメラだよ」とアカンベをして、さて彫刻を見るとしようか。


(夕日)
観光の最盛期は、少し涼しくなる10月かららしい。観光客が少ないおかげで、この日、石窟内で思いもしなかったステキな体験ができた。それは、この続きの「旅日記5」で話すことになるだろう。

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2008年9月 1日 (月)

インド旅日記(3)バザールへ行こう

9月25日
  ~~~アウランガバード~~~

(
マミー ブルー記)
駅から、再び白い立派な乗用車に乗り込み、ホテルへ直行する。

さて、小型の三輪自動車のことを、インドではオートリクシャーと呼んでいる。足漕ぎのものは単なるリクシャーであり、「人力車」が語源となって英語に入っている。
P9250098 
アウランガバードでは、リクシャーよりオートリクシャーの数が圧倒的に多く、大通りに立って石を投げれば、間違いなくオートリクシャーに命中する。ただし、運転手に張り倒されても保証の限りではない。ともかく前も後ろもオートリクシャーの大群である。それに負けずにオートバイの数も多い。この町にはオートバイの工場があるため、それに乗る人が多いのだとか。

外国人が見ると、自動車、オートリクシャー、オートバイ、スクーター、リクシャー、自転車、歩行者、荷車などが、車線の区別も車道と歩道の区別もなく、無秩序に動き回っているように見える。牛や山羊もこの混乱に参加する。
オートリクシャーは、日本の常識から見れば定員3~4人であるのに、「これ以上は無理」というところまで詰め込んで、人が折り重なって走っている。オートバイの2人乗りはほほえましいが、家族4人で乗っているのはちょっと心配になる。


(夕日記)
この道路の混沌状態を横目に・・・白い高級車は、私たち5人を乗せて走る。しかし後部座席に私たち客2人がゆるゆるとすわり、前部座席に運転手と2人の男性ガイドが窮屈そうにすわっているのだ。何だか、申し訳ないような気分。しかもこの地では、たった2人だけのために、2人もガイド氏がついてくれるのだ!これも、円高の恩恵だろう!
P9250104
しかしこんなふうに道路を移動しながら、町のざわめき、混沌状態を眺めている時が一番インドを感じることができた。この時のことを話そうと思ったら、何時間もかかるだろう!
ともかく驚きの連続で、全く見飽きることがないのだ。この旅日記でも、こんな道端で見聞きしたことが中心になることだろう。


 (マミー)
道路の混雑にあきれ、路傍の賑わいに見とれているうちに、車はホテルへと到着する。外の喧騒が嘘のように、ここは別世界となっている。P9250115 P9250112
豪華なホテルだが、二人とも、もうこれくらいでは驚かなくなってしまった。
「ん、まあまあじゃない」などと、ロビーでふんぞり返っている。P9250120

荷物を部屋に置き、とりあえずは遅い昼食となる。
さまざまなカレーを盛り合わせたターリー料理。
ナン (インドのパン)も捨てがたい。このナンは、それだけ食べても美味であり、優れた食品だと思う。


(夕日)
海外旅行ならではのうれしいことの一つに、ホテルの豪華さがある。日本では、逆立ちしても泊まれないような一流ホテル。そのステキなお部屋で、ソファーにふんぞり返っていると・・・大金持ちになった気分になれるから不思議!

豪華な絨毯を敷き詰めたホテルの廊下で、ボーイさんやメイドさんが「おはようございます!」と最敬礼して下さると・・・もう気分は、大金持ちの奥様!日本へ帰れば・・・毎日家事に明け暮れ、満員電車で潰されそうになりながらシコシコ働いている・・・平均的日本人なのに!

しかし、ちょっと迷惑なことは、お金持ちと信じている?私達からのチップを期待しては・・・トントントン・・・

「あのぅーお客様!エアコンスイッチの入れ方をお教えしましょう!」
「大丈夫です。わかりますから・・・ありがとうございます!」

少しするとトントントン・・・今度は、別の顔のボーイさんが登場。
「あのぅ、お客様!ベッドカバーを、お外ししましょうか?」
「けっこうです。自分達で出来ますから!」

トントントン・・・
「あのぅ、お客様!・・・」

「もう、けっこうです!」バタンと、マミー氏あわててドアを閉める!


さてとお食事は・・・まあまあ、満足!
「インド式?中国式?日本式?」と問われたが・・・インドまで来て中華料理もないでしょう?と言うわけで、当然、カレー料理を注文。
「ベジタリアンタイプをお願いします!」と私。 
「あっ、僕もそれでいいです!」とマミー氏。

ベジタリアン風って、どんなカレーかしら?と、興味津々・・・。運ばれてきたのは、沢山の豆類とチーズを使ったカレー。そして加工していない酸味の強い本物のヨーグルト。(日本で普通に売られているヨーグルトは、酸味を弱くした上でいろいろと加工して食べやすくしているのだ)P9250107

ナンは、焼きたてのほやほやを持ってきてくれるので、本当においしい。日本で売っている冷凍物に比べてサイズは小さい。ミルクやバターや、ペーキングパウダーや酵母などを使わずに、まさに小麦粉と塩だけで素朴に焼いているのであろうが、そのシンプルさが、じつにカレーのくどい味と良く合う。おいしい!

ホテルのレストランでは客席で実演しながら焼いていたが・・・私にはかってのシルクロードの旅で、田舎の道端の大きな釜で焼いていた光景が忘れられないので・・・豪華なレストランでの実演は、ちょっと滑稽に映った。

お飲物は?マミー氏はもちろんビール。私は、トマトジュースにしたのだが、運ばれてきたジュースを一口飲んで「ゲッ!」。信じられない甘さ!なんと、大量のお砂糖入りなのだ。ボーイさんに聞いたら「いえいえ、砂糖なんてとんでもない、天然のトマトジュースでございますよ」との返事。しかし、サラダに出るトマトは、そんなに甘くないから、これは絶対砂糖入りに間違いないと思った!
ともかく、こちらの人は極端に甘いものがお好きだ。まあ、日本だって、昔のお菓子類はとても甘かった!今でこそ、甘さを控えているが。


(
マミー)
食後、憧れのオートリクシャーに乗り、アウランガバードの市場へと向かう。名所旧跡を見るオプションもあるが、遺跡観光だけではつまらない。庶民の生活を見よう、ということになったのである。文化遺産を見て、カレーを食べて帰りましたでは、本当の旅をしたことにならないとの思いもある。


(夕日)
それにしても、この町ではオートバイがじつに多い。スクータもけっこう見かける。ちかごろ日本では、スクータはほとんど見かけないが。P9250146
そして、オートリクシャーというのは、よく見ると三輪スクータの上に座席シートを置いたようなものである。私の子どもの頃、日本で一時はやった「ミゼット」といった三輪車と似ているかもしれない。
オートリクシャーは、子供だましみたいなゴムの警笛を「ピピィ!!」と、けたたましく鳴らしながら、町中を走り回る。小さいし、小回りが効くから、狭い路でも平気だ。一般庶民用の公共乗り物だろう。

一方、オートバイの方は、少し収入の多い人達の自家用車代わりだ。本当のお金持ちだけが、乗用車に乗っている。 驚いたことに、この町では、キャリアウーマンと思われるインテリ風の女性達が、このオートバイやスクーターに乗っているのだった。それも、普通のスラックス姿じゃなくて、何とあでやかなサリー姿で、大きなバックを肩から下げて乗っているのだ。パンジャビ・スーツという裾がゴム入りの長いパンツ風のものを、サリーの下にはいている場合も多いが。 

インドのオートバイは、ハンドルとサドルとの間が低く下がっていて、普通のサリー姿の女性でも安心して乗れるようになっている。

女性たちが身にまとう、サリーの原色の鮮やかさ。
布は薄物のローン地!頭にも同色のスカーフを巻き、片方の肩からは長いショールを垂らし・・・それが、風にひるがえる。花柄あり、無地の原色ありで、黄色、紫、深紅、ピンクなどで彩られた美しい薄布が、オートバイの座席からヒラヒラ・・・。
これは、オートリクシャーの場合も同じで、風通しの良い開放的な座席から華やかなサリーの布がはためいていて・・・それ故、町中はとてもあでやかで明るいのだ。Picture124blog

このインドでは、女性はどんな場合でもサリー一辺倒のようだ。
なんと畑仕事も、この原色のサリー姿なのだ。道路工事現場にいた女性も、このサリー姿で土砂を運んでいた!

ああ~ サリーよ!


(
マミー)
先ほど見た交通事情がどのような結果を生むか、走り出してすぐわかった。オートリクシャーにはドアがなく、風に吹かれながら走る。排気ガスの規制などないのだろう。刺激の強い紫色の風が、目と鼻に襲いかかるのである。
インドの人たちは、そんなことは気にする風もない。

しばらく我慢して走るうちに、オートリクシャーは猥雑な市場へと滑り込む。このオーランガバードは人口百万を超えるというから、市場もかなりな規模である(この人口にはいくつかの説があるが)。さまざまな店舗と露店が折り重なり、その間を車やオートバイが走り回り、人が歩き、牛が寝そべり、山羊がさまよっている。
建築や美術を見るのもよいが、外国へ来たことを実感できるのはこういう場所ではないかと思う。P9250137


(夕日)
旅をして・・・一番の楽しみは、現地に暮らす普通の人たちとの出逢いである。観光関係の場所で出逢う人たちは・・・少し、よそ行きの顔をしている。

ガイド氏は「今日の午後の時間を使って***見学をオプションでいかがですか?お二人で**ドルですが・・・」としきりに誘ったが、私達が話に乗らないのでガッカリしていた。リベートが減るのだろう。

さてと・・・私達の一番の希望は、バザール散策であった。
「お二人で出かけるのは危険ですから、ガイドの私も一緒に行きましょう」
そこでホテル前に駐車中の客待ち顔のオートリクシャーに、ガイド氏と三人で乗ってでかけた。P9250121_2


道路を親子3人連れが裸足で平気で歩いている。
「えっ!石ころだらけなのに・・・。それにガラスの破片だって転がっているし、危険だわ!」
でも、これは旅の始めにだP9250122けに感じたことで・・・この後は、裸足の人達をどこでも見かけたので、余り驚かなくなってしまった!
こちらの人たちが履いているサンダルは安っぽく見えるが・・・それでも貧しい人にとっては手の出ない物なのか?

オートバイに老夫婦が2人乗りしているのを見て、ほんわかとした。
一台のオートバイに、家族4人がぎゅうぎゅう詰めで乗っているのを見て「アラアラ・・・」と冷や冷やしながら眺めてしまったが・・・こちらの人にとっては、乗用車に家族揃って乗るのと同じ感覚らしい。

車が交差点で止まると・・・すぐさま、物売りがやってくる。売り子は子供も多い。新聞や食べ物やらを、ほんの僅かな待ち時間に売るのだ。

さてバザール(市場)の中心に着いて、車から降りた。小さなお店がひしめき合っている中を、キョロキョロしながら歩く。P9250125
お店を手伝っている子ども達が、沢山寄ってくる。「やあ~」と声をかけてくれたり、私の手にしたビデオカメラに向かってポーズを取ったり、と陽気だ! 
この辺では観光客らしい外国人は、私たち以外誰も見かけない。お店は・・・というと、現地の庶民用生活必需品ばかり売っている。沢山の人達が、私達を興味深げに見つめている。P9250124

まず・・・道端の洋服屋を覗く。
これは何だ?まるで難民用に送られた古着を、そっくり売っているみたい。どれもこれも着古して色あせた下着や、洋服類ばかりなのだ。P9250128

部品屋も、錆び付いた部品ばかり。古釘だけを売っている人もいる。一体、これが何の役に立つのか? 

緑の葉っぱだけを売っているお店がある。この葉をかじると、口が赤くなるのだそうだ。P9250138
 
お茶屋さんの中を覗くと・・・店の奥に、ヒンディの神様が鎮座ましましている。なんでも、まもなくヒンディのお祭りが始まるそうだ。

油菓子を焼きながら、ホカホカの出来たてを売っているお店もある。「食べていかないかい?」 途中の果物屋で、リンゴとバナナを買った。驚くほど安い!形は悪い。さてさてお味の方は?ホテルへ帰ってからの、お楽しみ。


(
マミー)
ココヤシの実を大きなナイフで器用に切り、頂上に穴を開けてくれる。穴にストローを差し込んで飲むのである。物珍しさから頼んだものの、それほど喉も渇いていなかったし、生ぬるくて甘味も少ないため、半分くらい残してしまった。その数メートル離れたところで、野良牛が盛大
におしっこをしていく。インドだなあ。P9250158


(夕日)
野良牛たちのことを,少し話したいと思う・・・。

この国では、牛や豚は、ヒンディの神様の化身の一つとされている。だから決して食べたりしないし、もちろん殺してもいけない。牛が生まれた時、雌だったら大事に育てる。というのは、牛の乳なら幾ら利用しても構わないからである。P9250160 もし雄だったら、牛車用や農作業用の牛だけ残して、余分の雄牛の赤ちゃんは捨てるのだ。使い道のない雄牛を飼っても、無駄だからである。つまり、そんな哀れな雄牛が、すべて野良牛となるのだ。だから野良牛の多いこと多いこと!

しかし殺される心配がないし「シッシッ!」と追い払われる心配もないため野良牛たちの、のどかなことといったら!町の中、歩道や道路の真ん中、どこでも野良牛がたむろしている。P9250159


また野良豚も多い。豚の場合は、人間が豚乳を利用することはないだろうから、雌豚も雄豚も子豚も、町中を自由気ままにうろついている。ただ豚は、町の清掃夫代わりを勤めているのだ。豚は、ゴミの山から少しでも食べられそうな生ゴミを選んで、お腹の中で処分している。じつは驚いたことに、これと同じことを人間の乞食もやっていたのには、胸つぶれる思いだった。

この豚たち、じつは、牛や人間の排泄物も食べるのだ。つまり、路上トイレ(貧しい人々は、トイレを持たない)を清掃するのが、この豚たちなのである。それ故にインドの人々は、野良豚に 一目置いているのだろうか?

沢山の野良牛や野豚以外に目に付くのは、山羊である。これも町中をうろうろしているが、こちらは飼い主がいるようだ。山羊は、乳も羊毛も利用できる。
あと、ニワトリたちも町中をさまよっている。


この国の貧しい人達は、道で牛の糞を集めて、それをこねて皿状の形にしていた。乾かして燃料にして、調理に使うためである。草食動物の糞は乾かせばセルロースばかりだから、よく燃える。

インドを訪れたビートルズを初めとした沢山の人達が、このインドの国のまさに輪廻ともいえる、動物たちと貧しい人達の命のつながりを見たりしたことで、その人生観を変えるほどのショックを受けたのだ。


さて・・・この日かいま見た極貧の人々の生活・・・それをどう伝えたらいいか?言葉に詰まる!

道端に4本ばかり木の枝を立てて、そこに古びて汚れきったビニールシートとか布やらを広げて屋根らしき物を作って、その下で生活している家族のなんと多いこと!かっては立派なテントだったらしい残骸を、利用している家族もいる。道路は、たぶん国有地であろうから、どこにテントを張っても文句を言われないのだろうか?

しかしテントとは名ばかりで、実際のところ内部が丸見え。 家族がお食事をしている姿も何もかもが、外から見えてしまう。しかし私をホッとさせたことは、そんな中にあっても、人々の目が死んではいないことだ!
「逞しく生きてやるぞ!」そんな気迫が感じられるのだ。これはこのインドの旅で、ずっと感じたことである。Picture49blog


(
マミー)
市場をさまよった後は、ホテルへ戻ってそこの売店を物色した。白檀の彫刻にいいものがあるが、ホテルのような場所では値段が高い。こういうものは急いで買う必要はないから、散々冷やかした後、結局何も買わずに部屋へ戻る。まだ先は長いのだ。


(夕日)
旅の初心者のうちは、ついついホテル内の売店で高い買い物をしてしまう。かっての私も、そうだった。しかし今は、町中の安い土産物店を探して買物をする。

さて明日はいよいよエローラ観光。                        

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2008年8月31日 (日)

インド旅日記 (2) 平原を列車は走る

2000年 9月24日

  ~~~アウランガバードへ~~~

(夕日)
朝4時に起きた。5時15分にホテルを出発するまで、ロビーで少し時間待ちをした。ボーイさん達が、朝一番の新聞を一生懸命に折り畳んで、客室に配る準備をしている。
「一部、頂けますか?」と、マミー氏。
「はい!どうぞ!」

新聞を開くと、嬉しいニュースが私達の目に飛び込んできた。
「日本女性、高橋尚子、オリンピック女子マラソンで金!」

一瞬信じられない気分だった。「エッ、本当?」
そして、やがて二人は嬉しくなって、ニコニコしてしまった!
「万歳、よくやった!すごーい!」
この後、旅の途中で出逢った韓国人の青年にも「マラソン女子の金、おめでとう!」とお祝いを言われて鼻高々だった!
ふふふ・・・
Picture38blog
さて早朝5時すぎ、まだ薄暗い街を、私たち二人とガイドさんを乗せた白い乗用車は走る。驚いたことに、既に通勤用のバスがたくさんの人を乗せて走っている。自転車に乗ったり、歩いたりして、何人もの人々が職場へと急ぐ・・・。 

その人々の通勤する道筋で、マミー氏を驚かしたのは、夜が明けるのにつれて目に入ってくる、路上に寝ている人々の数のあまりの多さだ!町中あちらこちらで、まさに人の形の固まりが、歩道にゴロンゴロンと転がっている感じであった。

家族数人が寄り添って寝ているすぐ脇には、大きなボロ布に包まれた全財産が地べたに置かれていたり、或いは近くの歩道と車道の境のガードに結びつけられていたりする。その同じガードには、洗濯したらしい古びた布などが、無造作にかけられている。たぶん、こんなものは、盗まれる心配はないのだろう。Picture32blog


(マミー)
まだ暗いうちにホテルを出る。当然だが、歩道の人々はまだ寝ている。

駅に入ると、ここにも至るところに人が寝ている。ヤギが、その間を歩いていたりする。駅舎だけではなく、ホームもまた宿泊所である。冷房の効いた豪華ホテルの一室と比べてしまう。写真を撮りたいところだが、鉄道施設の撮影は禁止と聞いている。

冷房座席車に乗り込んで間もなく、定刻どおり6時に発車となる。


(夕日)
駅の床にじかにゴロンと死んだように眠っている人々の間を縫って、やっと辿り着いたホームにも、ベンチはもちろん床にまで、沢山の人々がしっかり眠りこけている・・・。体の下に布を敷いている人などは、ごく少数派。固そうな荷物を枕に、寝ている人もいる。

別の駅では、野良牛も、その人間達の間を歩いていたし・・・。

さて、定刻通りに発車。これは、ちょっと驚きであった。これまで、アジアや北アフリカの旅では「1~数時間遅れるのは 当たり前、ひどい場合は丸一日も!」と思っていたので。

22年前のインド・ネパール旅行では、ジェット機エンジントラブルで丸一日待たされ・・・その
せいで、タージ・マハル観光が夢と消えてしまった。
(その因縁のタージ・マハルに、今回のこの旅で行ける!)
でもそのトラブルのおかげで、翌日のネパール空港で、ネパール人の美人の友人が出来たのだから、人生は何が幸いするかわからない。更にこの友人は、その後に結婚したご主人と共に、つい最近来日してなんと我が家に宿泊して、友情を深めることになったのだ。


(
マミー)
入り口のドア近くの座席の後ろに、二つのスーツケースを押し込み、ワイヤーで椅子とスーツケースを結び、南京錠で固定する。インドの鉄道はかなり危ないらしい。ガイド氏も、リュックのジッパーに南京錠を取り付けている。
インドの鉄道は軌道が広く、それに応じて車両も幅が広い。通路を挟んで、2人掛けと3人掛けの座席が置かれている。天井と屋根の間に何の装置も付いていないのか、天井が馬鹿に高い。網棚もずいぶん高く、荷物を上げたはいいが降ろせないのでは?と、心配になるほどである。

暑い国であるためか、冷房を強めにするのが好まれているようだ。
しかし、車体は古く、窓ガラスは黄色く汚れている。天井の扇風機から推測するに、もしかすると植民地時代から走っているのではないだろうか。

椅子に付いている折り畳みテーブルも、開くとだらしなく膝の上まで降りてしまう。椅子の金属部品の代用に、なんということかボルトが溶接してある。それも、適当にやっつけた、という感じである。この雑な仕事ぶりなど、旧ソビエトと似たところがある。そう言えば、ロシアとインドは昔から仲がいいのだ。

それにしても、ずいぶん揺れる。


(夕日)
これから数時間、この列車に揺られる予定なので、じっくりと車内を眺めることにした!こんな旧型の列車には、なかなか乗れないだろう。

扇風機は、一昔前の無骨なトンボ羽?の頑丈そうなものだ。これが、天井に約2m置きに、左右交互についている。しかし、ひどく古びているし、冷房車となっている現在は使う予定もないのに、どうしてはずさないのだろう?かっては高い天井から、この羽が車内の熱風を、ひたすらかき混ぜていたのだろうが。

再び、車内の観察開始・・・。
座席は、どう見てもプロの仕事とは思えない代物。とりわけ、目の前の座席の後ろ側の作りのひどさ。マミー氏と、あきれるやら、苦笑いをするやら・・・。金属フレームやパイプ類が、でたらめの形とサイズでカットされているし、更にそれをいい加減な位置で、ネジで留めてある。支え用の金属が歪んでいて、傷だらけでガタガタ。

お食事用のテーブルも、斜めに垂れ下がって今にもはずれそうで、全く使い物にならない!修理という言葉は、この国にないのか?

窓の外の光景を眺めたくても・・・冷房効率を上げるための二重窓が、どちらも黄色く汚れきっていて、満足に景色が見えない。残念!

列車内のトイレは、一昔前の線路上へ垂れ流しするタイプ。便器の穴から線路が見えるのは、何かなつかしい郷愁を誘うから不思議。この作りの良い点は、臭わず清潔なこと?もちろん、洋式トイレじゃない!

驚いたことに、この走る列車のすぐ脇の線路横を、人が何人も歩いている!
「線路内に人が入ったので、その排除のために、電車がしばらく止まりま~す!」今の日本なら、大騒ぎ!列車の本数が少ないので、線路も道の一つになっているらしい。踏切もないので、子連れのお母さんが、線路を平気で横切る。
そんな様子を走る列車の中から私が、ドキドキしながら見ているわけである。


(
マミー)
隣の席に後から乗り込んできたのは、サリー姿の美女。新聞を読み終えると、薄いベールで顔を覆って、寝てしまった。

(夕日)
インド人って、彫りが深くって、長いクルリとした睫に、大きな黒い瞳がキラキラしていて・・・美男美女揃い。日本だったら、すぐにモデルとしてデビュー出来そうな美女が、ここにもあそこにも・・・マミー氏、巷にあふれている沢山の美女の群に、カメラを構えつつ・・・目移りしていていて、あたふた。P9250090

お昼になると、くだんの美女は、布袋からお弁当を取り出す。横目でこっそり眺めると・・・薄く切った食パンに、薄くジャムをのせただけのもの。それを、ペットボトル入りの水で流し込む。質素なお食事。しかし身に着けている上等のサリーや金のブレスレットからして、裕福そう。
やがて目的の駅に着いたらしく、彼女はそそくさと席を立つ。


(マミー)
通路のむこうの窓際に座ったのは、少し年配の女性。アカデミックな 雰囲気もあるが、読んでいる本は柔らかそうなもの。先ほどの美女とこの二人を、こっそり隠し撮りしておいた。斜め後ろの席にいるのはビジネスマンか、ラップトップコンピュータを開いている。ある程度の階層でなければ、この列車には乗らないだろうし、この冷房車の料金は2等車の3倍くらいだから、豊かな人が乗っているのだろう。

途中の駅で見ると、低料金の普通車両は窓に鉄格子がはめられていて、ドアというものは存在しないらしい。危なくはないのか心配してしまう。
でも、ドアのない戸口に白いサリーの美少女がたたずんでいるのは、なかなか捨てがたい光景である。


(夕日)
車内では、携帯電話の音もする。見ると日本の初期の頃の黒い大きな電話機だ。インドでは、携帯電話料金のみならず、通常の電話料金もとても高いそうだ。インド社会では高給取りに属するガイド氏は、パソコンも持っているそうだが、「インターネットの電話料金が高くてねぇー」と、ぼやいていた!(注:これは2000年の時点の話。IT国となっている今は、ずっと安くなっているかもしれない)
ともかく、私たちの乗っているこの冷房車は、国内エリート階級用&外国観光客用なのである。

それに引きかえ、途中で行き交う2等列車には、びっくり。
窓にはガラス無し。転落防止用の鉄格子が、横に7~8㎝位の間隔でわたしてある。冷房なしなので、空気の流れを良くするためだろう。しかも古い車両は錆びきっていて、一見すると貨物車みたいだ。
その列車内に、沢山の人々が押し込まれている。 デッキにも、人があふれている。列車によっては、デッキからはみ出すように沢山の人が、鈴なりにぶら下がっている。時には、列車の屋根にも沢山の人々が乗り込むらしい。そのデッキには「車内で炊事しないこと!」との掲示があるらしい。インド人庶民の生活力の逞しさからして、さもありなん!

それに比べて私達の列車は、強冷房、座席指定で、ゆったりとリクライニングシート(雑な作りだが)に腰掛けていられる。
P9250096
私達のすぐ前の座席には、4人家族が乗っていた。カーストの上の方の人々らしい。
美男美女の若い夫婦に、2人の幼児。母親は、いかにも高級そうなシルクのサリーを着こなし、体中に金や宝石のアクセサリーを、これ以上つけられないくらい沢山つけている。金のブレスレットも、両腕に10個以上つけているし。幼い女の子も、まるで結婚披露パーティに出る時のような、華やかなオレンジ色のドレスを着ていて、耳にはやはり金のピアス、そして両腕には数個ずつのブレスレットをジャラジャラ。既に一人前のレディである!P9250097

たぶん、カースト制の厳しいインドでは、まず外観をその階級にふさわしく整えなくてはいけないのだろうか?これについてはこの後、しばしば考えさせられたことでもある。

しかしながら・・・本当は、暑さと埃に耐えられるなら、そして多少の危険を覚悟の上なら・・・2等列車に乗る方が、はるかにおもしろいだろう。時には、旅芸人などの即興の歌や踊りも、見られるらしい。

(
マミー)
日本で新幹線に乗ると、いつも思うのだが、ビールを売るあのお姉さんは、なぜあのように先を急ぐのだろう。気の弱いものが声を出せないでいるうちに、その姿は次の車両へと消えていくのだ。インドでは、そのような悲しい思いはしなくてもよい。弁当屋さんも水売りも、座席を一つずつ確認するように、商品を売り歩く。

インスタントだが、コーヒー売りも来る。しかし、弁当売りが英語を理解しないのには参った。英語が通じる場合でも、ひどく訛っているため、この先もずいぶん悩まされることになる。


(夕日)
それにしても、何という冷房の強さ!旅行ガイドブックに、このことが書いてはあったものの、これほどまでとは思わなかった。あわてて、自家製のアルパカのカーディガンを羽織る。それでも手足が冷えて、寒い!とうとう、ホカロンを出して、上着の内側にしっかりと貼り付ける・・・。マミー氏が、苦笑い!

そこへ「コーヒー!コーヒー!」と、コーヒー売りが登場。
「あっ、下さい!下さい!二つです」
コックつきの大きな湯沸かしみたいな金属の容器に、大量の砂糖入りミルクコーヒーを入れて、それを直に手で持って、売り歩いている。大きな胸ポケットには、すぐに出せるように、紙コップが幾つも入っている。この商売は、冷房の効いた車内じゃないと売れないだろう。そのために、冷房をきつくしているのかしら?とさえ、思いたくなる。

お金を払う段になって・・・小銭がないのに気づく。コーヒー1杯で5ルピー。お財布には、500ルピー札しかなかった。
「あのぅ、これでお願いします!」コーヒー売りは、私の出したこの高額なお札を見て、びっくりした顔で「お釣りがないから、後でいいよ!」と、さっさと先へ行ってしまう。結局、列車が目的地に着く直前になってもおつりが溜まらず?代金請求に来なかったので、ガイド氏に代金の小銭の立て替えをお願いした。
それにしても、このコーヒーの異常な甘さには参った!Picture116blog

朝早くには「朝食用弁当」売りが、各座席を丁寧にまわって、注文を取っていた。
「オムレツ弁当はいかが?おいしいよ!」
私達は、ホテル側が作ってくれたお弁当を持参していた。その中味は、ポテトチップ(市販の半袋分)、ザクロ、梨、サンドイッチ、モンキーバナナ(皮が薄くて、甘くて美味)。
バナナと梨以外は、ほとんど食べずに捨てた。

水売りのオジさんは、氷を沢山入れた大きなブリキのバケツに、1L入りのペットボトルのミネラルウォーターを何本も入れて、車内を次々と回っている。インドの庶民は、本当に力持ち!
これを一本買った。10ルピーであった。しかし、高級ホテルでは同じものが50~60ルピーもする。
ただホテル室内には、必ず2本ほど無料の?ミネラルウォーターが、常備されてあった。この代金は、どうやら宿泊費にふくまれているらしい。

さてと・・・英語の訛のことだが、英会話初級者にとっては、聞き取りが大変だった。たとえば「t」の代わりに「d」を使うので、最初はとても戸惑った。
コーヒーツゥじゃなくて、コーヒードゥと聞こえる。エッ、フランス語かしら?なんて、一瞬思ってしまったほど。

マミー氏が「僕は、英会話は全く駄目!任せるからね!」と宣言していたので緊張していたら、何とちゃんと英語が話せるではないか!彼はロシア語、フランス語で鍛えているせいか、ヒアリングなんて私よりも遙かに上。よかった!お蔭で、現地の人々との会話が弾んだ。彼によく聞くと、翻訳の勉強を兼ねて、英語のテープを聞き込んだそうだ。道理で!


(
マミー)
朝6時半頃になって、汚れた窓のむこうに太陽が顔を出した。線路脇に立つ建物の壁が薔薇色に輝き出す。建物が切れると、地平線まで緑の草原が広がっている。思い描いていたのとは違い、インドは緑が豊かである。
9月までは雨季だから、このようになっているのだろう。雨が降らなくなれば、この大地は別な顔を見せるに違いない。

侵食でできたものか、奇妙な稜線を持つ台地が次々に現れる。烏帽子のような岩を戴く台地が現れる頃に、列車はジャンクションに到着。かなりの時間、この駅で停車する。ここで列車は右に方向を変え、旅の目的のアウランガバードへと向かう。烏帽子岩はずっと右に見えている。ディーゼルを蒸気機関車に取り替えたらしく、時々窓の外を煙が流れて行く。Picture95blog


(夕日)
列車内での検札。
制服に身を固めた背の高い車掌が、登場。手にした分厚い紙束には、びっしりと何か書いてある。住所、戸籍も?1人ずつ、丁寧に切符を調べていく。私達の分は、ガイド氏がやってくれた。

また、ちょっと驚いたが、ここでは車内放送なるものが一切ない。
「次は***駅です!」という案内が全くないのに、人々はどうして自分の降りる駅がわかるのかしら?不思議だった!それに、盲人や、更に文盲の人は、どうするのかしら?考え込んでしまった!考えてみると、車内放送の設備にまでは、お金が掛けられないのだろう。


(
マミー)
2時頃にアウランガバードの駅に到着。重いスーツケースは、やせこけたポーターが頭に載せて軽々と?運んでくれる。
駅を根城にして寝泊まりしているらしい人々の間を、縫うようにして駅舎を出ると、迎えの車とこの観光地専門の現地ガイドが、我々3人の到着を待っていた。

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2008年8月30日 (土)

インド旅日記(1)黄昏の翼

 

前書き:この旅日記は、あるネット仲間に読んでもらうべく夫と二人で掛け合い風に書いたものです。それ故にすべてハンドル名で書かれています。
(私→夕日  夫→マミーブル )

Picture110blog_2    


(マミーブルー記)
旅をするのは好きだが、旅の準備をするのは嫌いである。旅をするためには、まず、こちらの休暇に合った日程のコースを探し旅のパンフレットをひっくり返し、予約が取れるまでじりじりしながら待たねばならない。

しかし、結局は催行人員に達せずに中止となって、また最初からやり直しということを、数度繰り返す。


「最小催行人員2名」
これはいい。2人だから即決である。結局「一番、行きたいところ」ではなく、「今の段階で行けるところ」を選ぶことになる。この旅日記の序章で「偶然」と書いたのは、そういう意味であり、このようにしてインド行きは決定した。もちろん、以前からインドにも関心はあったが、今回の旅の行き先としては予定していなかっただけである。

ともかく、旅には、手ぶらで出かけることはできない。持って行く物を考え、スーツケースに入れては出し、出してはまた入れしているうち、出発日は目前に迫ってくる。いやだいやだ。       



(夕日記)
最初、中近東を旅するつもりでいた。が、最近のイスラエルとパレスチナの不穏な情勢を反映して、旅の予約をキャンセルする人が続出。結局、旅は成立せずインドへの旅立ちとなった。


ただ・・・実際には、それが正解だった!
というのも、私達の旅の最中に、両者の武力衝突が始まったのだ!

最初の予定の旅が成立していたら・・・イスラエル国境付近のヨルダン側の死海で、銃弾に打たれ
て波間をさまよっていたかもしれない。

日本と違って、世界の幾つかの国では、宗教の違いによる凄惨なる争いが、繰り広げられている。本当に、どうにかならないのか?

自分の信じる宗教のみを最上として、戒律を遵守すると言うこと・・・それは、今回のインド旅行でも、痛切に実感した!この旅で私達の出逢ったほとんどのインド人は、異口同音に「パキスタンは、とんでもない国だ!私は心の底から憎んでいる!」と、憎々しげに話したのだった。その両者の心の溝は、余りに深いものだった!

また、インド国民の83%を占めるヒンドゥー教の、カースト制度に縛られた、下層の人々の生活の悲惨さ!

じつは今回の旅は、私にとっては、22年ぶりのインドであった。しかし、神の化身として大切にされている野良牛、野良豚が、町中を大いばりで闊歩しているのに比べ・・・最下層の賤民の家族が、路上生活をしている姿は、またしても私の心を哀しみとやりきれなさで一杯にした。その思いをこの旅日記で少しでも表現できたら、と願っている。

ある程度の衝撃の予測がついていた私に比べ、インド旅行が今回初めてのマミー氏は、大いなるインパクトを受けていた!ともかくこの旅は「生きるとは?」を、しみじみと考えさせられる深い哲学的テーマに満ちたものであった。とはいえ実質7日間ぼっちの旅で、はたしてどのくらいのことを見聞きできたと言えるのだろう?偏見や、間違った見方をしてきたかもしれないが、ともかく旅日記を書き始めよう。 


(マミー)
さて、出発日。家を離れることにも抵抗がある。玄関の錠前は、安全性の高いものに換え、さらに補助錠を取り付け、バルコンの窓にもストッパーを取り付けてある。が、何しろ、この同じ建物で2度もピッキングの被害が出ている。確かに施錠したはずだが、気になって、また戻って確かめるのも、いつものとおり。

地震や火事、これはもう対策の取り様がない。


(夕日)
まさかと思いつつ、玄関の通路に面したお部屋の窓を開ける真似をしたつもりが・・・スルスルスルと開いたのにはびっくり!
 
「鉄の格子があるから、大丈夫じゃないかな?」と、マミー氏。
「えっ?そんな!早く家に入って、窓の鍵を閉めてきて!」とあせる私。                              


(マミー)
ガラガラ・・・とスーツケースを引きずりながら駅へ向かう。ずいぶん軽くしたつもりだが、そ
れでも20キロを少し超えている。階段では、これを持ち上げなければならない。幸いなことに、スーツケースは2つである。1つではバランスが取れなくても、両手に持てばそれほど歩きにくくはないものだ。

どっこいしょ。            



(夕日)
いつもなら、スーツケースは宅急便で、数日前に空港へ運ぶ。
今回は荷物の整理が間に合わなかったせいで、ポーター役を、マミー氏が引き受けることになった。

今回の旅行は、かなり格安ツアーであった。なんと、ネット仲間M嬢の優雅な一人旅分の費用で、二人分がまかなえた。それにもかかわらず二人だけのために、日本語ガイド(インド人)と運転手がつき、旅行会社の白い高級乗用車で主な観光地を回った。ただし、大きな空間移動は汽車であったが。

更に準備されたホテルは、すべて五つ星の高級ホテル!

さすがJTB主催のツアーであった。                 



(マミー)
電車を乗り継ぎ、京成線に乗ってしまえばこっちのものだ。車内を見回すと、珍しくもないだろうが、堂々と化粧をしている若い女がいる。電車なぞほとんど乗らない者には、実に面白い光景である。

墨を塗り、紅を差し、なんと呼ぶのだろうか、細い目を少しでも大きく見せるための、睫毛を上に向ける機械をカチカチと動かす。当然だが、髪も解かす。

その合間に携帯でメールのやり取り。化粧が終わった頃合に、ちょうど目的地に着き、颯爽と電車から降りて行く。やれやれ。


(夕日)
本当に最近の一部の女性達の、人目をはばからない大胆な態度には、こちらの方が恥ずかしくなって、目を背けたくなる。
どうして、こんな若者ができてしまったのだろう?
 
援助交際、山姥族は論外としても、昭和20年世代の私達から見ると、破廉恥ともみえる大胆な服装や態度や乱暴な男言葉を使う若い女性たち。

でも、たとえば今は、警官ですら堕落しているのだから、あまり文句も言えまい!
あーあー                   



(マミー)
成田空港に着き、スーツケースを預けてしまうと、少し心に余裕ができてくる。オールドパーのハーフボトルを免税店で買う。うきうき。
「呑むものも 呑まれるものも オールドパー」などと一句浮かんでくる。

出発ロビーを見回せば、もうここは半分インドである。
小さな子供を連れたインドの家族。サリーをまとった美女。もちろん、ビジネスマンとおぼしきインド人も多い。P9240009_3
 

しばらく待つうちに搭乗となる。エア・インディア301便は、ほぼ定刻どおりに離陸した。エコノミーの座席は狭い。機内食でも出ると、もうまったく体を動かすことはできなくなる。幸い、窓際の席だから、外を眺めていれば、時間の経つのは忘れてしまう。

ビールを頼んだら、嬉しいことに缶2本くれたが、これが実にまずい。1本を半分くらい飲み、もう1本は返してしまった。

青空を背景に、さまざまな形の雲が現れ、やがて視界から消えて行く。眼下に見えるのは、どのあたりだろうか。大きな河が流れているが。P9240028_2 P9240038_2



(夕日)
じつは、飛行機に乗るまでは、ちょっと心が重かった。22年前エア・インディアを利用した時のことを、思い出したから。


あの時は、寄せ集めの色とりどりの古びた座席。狭くて汚い機内。
香港やバンコックを離陸する直後に、突如、機内にまき散らされた殺虫剤の強い刺激臭。

しかし、さすが22年後の機内は清潔で、座席の布柄も統一されていたし、トイレもまともだった!ただ機内にできるだけ大量の客を詰め込んで、採算をあげて飛ぼうという魂胆が、見え見えだった。でも国の貧しさを考えると、仕方のないこと?                                                        

(マミー)
デリーへ着陸したときはまだ明るかったが、再びムンバイ(ボンベイ)へ向かって飛び立った後、太陽は雲の中へ沈んで行く。
空と雲の接点が金色に輝く頃になると、目的地は目の前である。P9240067_2

デリーまでに機内食が2回出たが、その先は国内航路になるためか、さらにもう1回出た。しめしめ。


(夕日)
ムンバイ(ボンベイ)は、人口一千万人を越えるインド最大の商業都市。日本からの飛行機の終着空港でもあるこの都市が、私達のインドの旅の出発地点。

最近、IT革命関連で、いろいろ話題にのるインドの科学技術の高さ!さてさてムンバイとは、いかなる大都市なのか?


(マミー)
ムンバイの空港で、「こんにちは」と言って微笑んだのは入国審査官である。緊張が、体から抜けていく。こんな柔らかな対応は、初めての経験だ。この瞬間から、インドが好きになり始めていた。

スーツケースが出て来たのは一番遅く、その時もうほかの乗客は、ほとんど残っていなかった。 空港のバンクで、1万円を両替する。ルピーを数えたが間違いはない。「係員がごまかす」とガイドブックに書いてあったが、これも嘘らしい。

さて、インドへ踏み出すとしようか。            

(夕日)
この国は、万事にチップが必要である。もともと、チップを当てにしてサービス業の人達のお給料が決められている、とのことだ。それで、とりあえず小銭を少し用意したかった。
たぶん、この国も、ルピーよりもドルが通用する国?であると見ていたので、両替は最低にしておいた。

さてと・・・我々の現地ガイドさんは?
キョロキョロするまもなく「Aさんですか?」と、1人のインド人男性が流暢な日本語で、話しかけてくる。ホッ・・・
じつは北京二人旅の時は、ガイドさんとお互いに相手を必死で捜し回ったのだった。                                      



(マミー)
空港を出ると、熱気が顔を包む。秋の気配の漂う日本から、また夏に逆戻りである。
ガイドが車を呼びに行く間に、カメラを取り出して撮影開始。空港前は明々と照明されていて、熱帯の木々も道路も、人間も、すべて黄金に輝いて見えた。P9240071_2
                   



(夕日)
空港の外へ出たとたん、手にしたビデオカメラのレンズが曇った。マミー氏は、眼鏡とカメラのレンズを、あわてて拭いている。 しかし、拭いた先からまた曇ってくる。あーあー

それにしても、異常な蒸し暑さ。まるで、真夏に熱湯温泉の湧き出ている場所に、じっと佇んでいるような、気持ちの悪いじとじとさ。吸う空気も、湿っていて、何か変な臭いがするし。
この異常な湿気は、この都市が、海に囲まれているせいだそうだ。

「室内の食べ物がすぐに腐ってしまいそう・・・」なぜか、そんなことを思ってしまう。冷蔵庫なんて、一般庶民には高嶺の花だろうし。

(マミー)
ムンバイ市内に入ると、車の数が増える。海岸通りには真珠を並べたように街灯が輝き、高層ビルが次々に現れては消えて行く。
横断幕の広告は、インターネットサービス プロバイダのもの。さすがIT大国だ。観光用だろう、華麗な馬車が走っているのを追い越し、また行き違う。

そういった世界とは異質なものも、目に入る。
車が止まると、物売りの子供が窓から覗き込む。大勢の人達が、埃だらけの歩道に寝ているのに、ちょっと驚いた。日本にもホームレスはいるが、もっと静かな場所を選び、人を避けて夜を過ごすはずだ。

近代的なビルと、その傍らのバラックの対比が痛ましい。街灯が突然照らし出す、道端のゴミの山。

(夕日)
22年前に、カルカッタで受けた衝撃とさして変わらないショック!というのも、もっと、貧富の差が解消しているかと思っていたので。

1人きりの浮浪者もいるが、家族揃って、歩道にゴロンと横になっている姿も多い。ボロ布にくるまれた全財産が、そのそばにゴロン。
しかし、この衝撃は、翌朝にさらに数倍となって、私達を襲った。
到着した日は、夜の闇に紛れて、ほんの一部しか見えていなかった。

さてと・・・この道端のゴミの山が再利用されているのを、私達は別の場所で見たのだった。誰が利用?それは、後のお楽しみ?


(マミー)
到着が夜なので、ホテルの外観はよく見えないが、樹木に囲まれた美しい場所に建てられていた。目下、改装中とかで、ロビーは狭く、一部を囲ってベニヤ板が貼られている。
一流ホテルらしく、客室内には本物の素材を使った上等の家具が置かれている。洗面台も美しい。この部屋も黄金の輝きを放っていた。残念ながら夜も遅く、おまけに翌朝は早いため、ホテル周辺を歩くことはできなかった。
朝のうちにインド門を見ておこうと思ったが、それも中止である。

明日は4時起床。もったいない話だが、夜の町を垣間見ただけで、早朝にはムンバイを発たなければならない。飛行機の疲れと時差のせいで、ベッドに入ると、すぐに意識は薄れて行った。


(夕日)
旅行の栞には「一流ホテルですが、バスタブなしです。シャワーだけ」と記載されていたが、実は、完璧な美しいバスルームが備えてあった。
 
木彫り風の重厚な家具が、うれしかった!
「将来、こんな家具が置ける家に住みたいわ!」
「今晩だけなんて、もったいないなあー」

このホテルまでの道筋で、一生懸命デジタルビデオカメラで、夜の街の様子を撮そうと頑張った。しかし、時折襲う睡魔に負けて数分意識がなくなる。

帰国後、その時のDVを再生してみたら、暗い車の床だけが数分間映っている画面が混じっていた。
 
この夜は私も、バスルームを使った後は、翌日からのインド旅行に備えてぐっすり眠った。翌朝は6時発の汽車に乗る予定。4時起床!いよいよ明日から、22年ぶりのインド旅行。

ドキドキ・・・少しの不安と、楽しみとでドキドキPicture101blog_2
          

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