カテゴリー「日々のつぶやき」の記事

2009年5月23日 (土)

家族が増えたワン!

Picturebloga17_2 家族が増えました!  

シーズー犬の赤ちゃん!ショパン君です。
今日で生後3ヶ月になります。先週の土曜日に我が家にやってきました。
弟と一緒に、これまでの育てのママの運転する車に揺られて。Img_5851ss

産みのママは、坊やたちが生後2ヶ月になった時、帝王切開の術後の治りが悪くて、天国に行ってしまったのです。でも、聡明な美人の育てのママのおかげで、これまで坊やたち二人は、のびのびと幸せに育てられました。

弟は育てのママのところに残り、お兄ちゃんの方が、我が家の子供になりました。Img_5945sa

新米パパになった夫が、しみじみと言います。
「この子が来てから、全く生活が一変したなぁ。この子には本当に癒されるよ。この子だったらウンチだって触れるし。自分でも本当にびっくりさ」

3ヶ月の赤ちゃんとは思えない行動力、記憶力、理解の早さなどなど、毎日びっくりの連続です。ワンちゃん日記を書こうと思っていますが、坊やに振り回されていて、なかなか時間が取れません。

坊やのお部屋は、我が家のやや広いリビングの片隅。赤ちゃん1人には、贅沢な広さの中に、たくさんのぬいぐるみおもちゃに囲まれて、大いにやんちゃ振りを発揮しています。Img_5861ss

坊やは頭がよく、毎日新しい遊びを考えたり、色々な面を見せてくれます。こちらの言うことがよくわかり、顔色を見ます。坊やのお部屋は、寝室とトイレが分かれています。たまに失敗もありますが、大抵はきちんとトイレを使うことができています。

毎日坊やに振り回され、でもそれが楽しくて、新米パパとママは毎日笑顔!

さて、ブログの中に「僕はショパン」なんてタイトルでシーズー犬ちゃん日記風な記事を書こうと思っていたら、新米パパに先にそのタイトルを取られてしまって、私はちょっとがっくり。
「先物勝ちだよ」と、彼はニヤッと笑っていました。

でも、私も負けずに我が子ショパン君の記事を書く予定?

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2009年5月 5日 (火)

サイクリングロードを散歩

パートナーと、近くのサイクリングロードを散歩してみるPicturebloga16
老若男女が、好きなスタイルで散歩やジョギングなどを楽しんでいる

ワンちゃんたちも、家族の一員として楽しげにお散歩中だし、
幼い坊やが、三輪車のペダルを必死でこいでいるのも可愛い
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道路の脇に山桜並木があって、いまやほぼ満開
濃い目のピンク色の花々に混じって、やや赤茶系の葉も同時に姿をみせている 


道沿いの公園の水芭蕉の花も、湿地にポツンポツンとわずかに純白の姿を残しているだけ
その木道でそっと目を閉じてみる・・・
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道の脇を流れる小川が、チロチロとやさしく歌っていて
小鳥たちの澄んだ美しい歌声が混じりあい
まさしく自然の音楽会・・・

冬の間にはわからなかった新しい北の地での、春の喜び


三色すみれ、チューリップ、山吹、コブシ・・・
今、いっせいに春の花が咲き始めている
なんと東京では2月に咲く梅の花が、今満開とは!

今日はこどもの日Img_5824

このサイクリングロードの一部が市街地の中の貴重な原生林となっていて、そこにエゾリスの餌場があり、運がよければリスが元気に走り回っている姿を見られるImg_5801

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2009年4月26日 (日)

水芭蕉とエゾリス

札幌へ引越ししてきて2ヶ月ちょっと。
思いの外、北風が強く寒くて・・・家の中で縮こまっていました。Picturebloga14

毎朝2時間ほど本格的なウォーキングを楽しんでいる夫が

「サイクリングロードにリスがいるよ」
「公園の湿地に水芭蕉の花が群生しているよ」
と教えてくれました。

「まさか、あの憧れの尾瀬の水芭蕉が自宅近くの公園に?」

私の最も大好きな花カラーに似た、純白の清楚な花の水芭蕉。尾瀬にたくさん咲いている花。でもシーズン中は登山者が多すぎて、気後れしてその時期に尾瀬湿原を歩いたことはなかった私。
高山植物のイメージがしていたこの花!

半信半疑で公園へ行ってみたら、本当に水芭蕉の花が群生して咲いていました。
人が誰もいなく、小鳥たちが可愛い声で啼いていました。Picture 
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山歩きの好きな友人が言っていましたっけ。
「北海道では気温が低いので、本州では高山でしか見られない野生の花が低地で咲くのよ」
なるほど!

札幌に引っ越してきて見つけた・・・得したことの一つがこの水芭蕉。

あとは、エゾリスに出会うこと!
ここは札幌市内で、地下鉄で札幌中心街まで地下鉄で20分以内でいける土地なのに、野生のリスが本当にいるのかしら?実際にこの目で見ないと、信じられない気持ち・・・。Pictureblog 

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2009年4月 9日 (木)

お花見

先週今まで住んでいたマンションの買い手が見つかり、その契約のために331日に上京しました。
ネットで格安のホテル付き航空券を購入して、水道橋にあるいわゆるビジネスホテルに2泊。ちょうど入学式や入社式に重なる時期だったので、前回2月に仮契約のために上京した時みたいには格安での一流ホテルの利用はできませんでした。

なぜ水道橋を選んだかと言うと、若い頃4年間通っていたアテネフランセの近くであり、元の職場の近くであり、小石川後楽園(ここの美しい庭園もなかなか良いので)がすぐ近くとのことで、ここに決めました。
ただ予想外のことには、春休みとあって後楽園や東京ドームを目当てにやってくる子供たちが多かったこと。ジェットコースター付近からは「キャーキャー」と叫び声。

少し離れた小石川後楽園では、ちょうど枝垂桜が満開。やや曇っていたせいと、平日の午前中であったせいで訪れる人も少なめで、静かな中でお花見を楽しむことができました。
前日雨が降ったせいもあり、緑が生き生きとしていて爽やかな気分・・・。
淡い薄桃色とやや紅色の濃い桃色の花が、心を優しくしてくれます。Picturebloga12

この後、友人とかっての職場で待ち合わせ。なんと職場閉鎖から約10年目にしてやっと解体作業が開始。東京の一等地をただ遊ばせているなんて、国って何をやっているのかと思います。解体作業は415日から始まり12月までかかるとのこと。たくさんの桜の花が、今年も人気のない広い敷地内でひっそり咲いていました。

その後、友人と二人で近くの椿山荘の庭園をお散歩。ちょうどお庭では満開の桜の木の下での薪能の舞台設営中・・・。出演者には野村萬斎などが名前を連ねていて・・・。明日の夜から数日間開催される予定。おそらくディナーつきで数万円のチケット?
お庭散歩後は、コーヒーとケーキで休憩。お庭の桜を眺めながら、久しぶりのおしゃべり。

さて・・・札幌に帰ってきた私は、5月の初めに再びお花見!
なんと今年は、2回も桜の優しさを味わうことができるのです。
ふふふ・・・

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2009年3月26日 (木)

友の悲しい死

数日前、学生時代のクラスメート女性ばかり5人と久しぶりにおしゃべり。
大阪に住んでいる友人が、久しぶりに帰省したのを機に夕食会を!というわけです。
お互いずいぶん年をとってしまったけれども、心は学生時代と変わらなく気取りのないおしゃべりをできるのは嬉しいこと・・・。
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そんな楽しいひとときを過ごしたばかりなのに、突然悲しいお電話がかかってきました。
先日の集まりに参加できなかったクラスメイトの1人が、今日癌で亡くなった!という寝耳に水の信じられないお知らせ。
その友人は、約20年前に癌で大切なご主人を亡くされ、さらに続いてお母様を亡くされ、ここ数年はお母様から引き継いだお仕事をしながら末期癌の高齢のお父様の看病をされていたのですが、その彼女自身が進行性子宮体癌だったとのこと。

自らの癌を知りつつ、その事実を一緒に暮らしていた妹さんはおろか周りのすべての人に隠していて、一切の癌治療をしていなかったなんて、いったい彼女の寂しい心は何を思っていたのでしょう?ひどくつらく悲しい気持ちです!
先日急に具合が悪くなって病院へ行ったときには、すっかり手遅れ状態だったそうです。何てことでしょう!体調を崩し苦しそうだった彼女を、妹さんが無理やり病院に連れて行ったとのことですが。その時すでに癌は、肺に転移していてもはや手がつけられない状態だったそうです。そして、なんと入院後10日で天国に召されたのです。周りの人々に「ありがとう」の言葉を残して。

たぶん、彼女は酸素吸入のマスクの下で、あのいつものやさしい笑顔で、その言葉を必死で口にしたのでしょう。Picturebloga8
彼女は、死を覚悟してこの一年を過ごしていたようです。何度か手術をしようと決意して予約をしたようですが、すべてキャンセルしています。あるいは、その度お父様の病態が悪化したのかもしれません。
彼女の日記には、「自分で納得できる死を迎えたい」と言うような内容が書かれていたそうです。葬儀に出席してはじめて知ったのですが、彼女は敬虔なクリスチャンでした。お父様が深い信仰をお持ちの方で、所属の聖書研究会では重鎮で皆に尊敬されていた人格者だったようです。

彼女は「もしも癌の手術をしたら、車椅子の生活になるかもしれないし、お父様の看病ができなくなる」と思っていたようです。ご高齢のお父様の看病のために自分の命を捧げよう!と、彼女は覚悟したらしいのです。そしてそれが、彼女の選んだ「納得できる死」だったのでしょうか?あるいは癌が判った時点で、すでにかなり後期に入っていたのでしょうか?
大切な人のために、たとえ自分の命を縮めても尽くしたい!と言う彼女の心のすばらしさ!
彼女は、神様以外には自分の病気のことを相談せずに、一人きりで死を覚悟していたようです。そしてそのことを、彼女の死後に知ったご弟妹は、あまりのショックに言葉をなくされ呆然とされていました。
慰めの言葉さえ浮かびません。ただ、彼女が深い信仰を持っていたことは、本当に救いでした。

神様は、彼女の苦しみすべてを見ていて下さり、彼女の唯一無二の心の支えだったのでしょうから。

彼女とのお別れ式前夜祭は、賛美歌と祈りの中で、厳かに執り行われました。
たくさんの花々で作られた祭壇は、彼女の心と雰囲気にふさわしい優しさ、清らかさ、美しさに満ちていました。笑顔の彼女がそこにいました。

学生時代の彼女は、いつも真摯な目をしていて控えめであまり目立たず、いつもみんなの一歩後をにこやかに静かに歩いていた人・・・という気がします。
彼女は彼女なりに、自分の人生を生ききったのですね。

彼女は私たちのとても大切なメッセージを残して、旅立っていきました。

人間の一生って?
これからの自分の人生を、どのような色合いで描ききってどのように締めくくっていけばよいのか?
彼女の死は、たくさんの深い想いを私たちに残していってくれました。

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2009年3月24日 (火)

やっと自分色の家に

引越しから一ヶ月以上が過ぎ、やっと自分の家らしくなってきました。

たくさんの旅の思い出の品を家のあちらこちらに飾りつけ、音楽室?にトルコで惚れ込んで買ってきた礼拝用の小さめの絨毯を敷き、そこに馬頭琴やウードやビルマの竪琴や笛や太鼓などを配置し・・・やっと新しい家を自分色に染めることができました。

ピアノは、長旅で揺られたせいで音の狂いがひどくなり、近々調律をして貰わなくては!

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あとは、大量にある手紙類の整理になりますが、これが想像以上に大変かも?
高校時代に文通していた京都の友人からの手紙の束。パソコン時代になる前に交わしていた友人たちからの手紙やら、さらに旅先からの美しい絵葉書類。年老いた祖母が一生懸命に書いてくれた長文の手紙の束。
高校時代から
25年間文通をしていた友人からの大量の手紙。彼女は12年前に癌で亡くなっています。

さまざまな思い入れのある手紙が、ダンボール一杯分ほどあります。それらに再度目を通してから、シュレッダー行きと保存とに分けたいと思っていますが。


皆様は古い手紙をどうされているのかしら?でも、手紙は他人にとってはほとんどごみ同様でしょうから、そろそろ全部処分すべきかもしれませんね。

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さてここ北国札幌では、数日前までは雪道を歩いていたはずでしたのに、あっという間に雪が消えてしまいました。舗装道路も歩道も、普通の靴で平気で歩けます。もちろん小道や道路わきの一部にはまだ少し雪が残っていますが。私が学生時代にこの北国に住んでいた頃は、こんなことは考えられないことでした。これも地球温暖化の影響でしょうか?3月に札幌で自転車に乗れるなんて、夢にも思っていませんでした。

ということは、夏も暑いのでしょう。一応、リビングには最初からエアコン一台が付いていますし、引越し荷物にも2台エアコンを忍ばせてきました。「北海道では、エアコンは必要ないのじゃない」と言われながらも「まだ買ったばかりだし、これは酸素を出してくれるタイプだし」と持って来て、すぐに寝室につけてもらいましたが、どうやら正解になりそうです。

近所のスーパーなど日常に必要なお店関係も大体把握して、あとはヘアサロンを探すだけ?

でも引越しって、想像以上に大変です!

ふぅ~


今月末、用事があり上京します。桜が満開でしょう。今年は
4月と5月と2回お花見ができそう。東京は花粉症が怖いけれども・・・ちょっぴり楽しみ。短い滞在の間に、親しい友人にも会う予定です。

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2009年2月27日 (金)

引越しから2週間

札幌へ引越ししてきて・・・2週間が過ぎた。

なかなか家の中が片付かない。

新しいマンションは、収納場所がたくさんある。そのため逆に、収納するのに時間がかかってしまう。

「収納してある場所がわかりやすく、使いやすく、見た目もきれいに!」したいから。

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引越しを含めて、急激な生活の変化があったせいもあり、頭の回転が非常に悪くなっている。頭も手も思うように働かない。とりわけ頭は超特急ですっかり錆付いてしまって、このまま老化してしまいそうな不安・・・。

新居の8階のベランダから見える光景は、まさに純白の世界。寒い!

20代の始めに北国から東京へと居を移して以来の、北国暮らし。

近代的な家庭用除雪機なるものを、数日前初めて見た。道の雪が、あっという間に放射線状に吹き飛ばされていく。目の前に見る見るうちに白い小山が出来上がる。びっくりして、しばらくポカーンと口をあけて眺めてしまった。

久しぶりの雪道は歩きにくく、こわごわ歩いている。Picturea5

とはいえ、北国も地球温暖化の影響を受けていて、厳寒の2月のはずが3月の雪解けのような暖かな日もあり、雨のような雪が降る日などは雨傘が必要になる。

北極も氷がどんどん融けていて・・・白熊が生息しにくくなっているようだ。

地球の未来はどうなることか?

それにしても、頭の中がうまく働かない!

心が少し凍っている感じ?
さてさて、北国での新しい日々、今後どう展開することか?

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2009年2月 9日 (月)

明後日は引越し!

明後日はいよいよ引越し!

あさっての夜は、純白の北国。寒いことでしょう!

11日まで、札幌雪祭り中なので、たくさんの観光客があふれているはず。

目下、引越し準備に大わらわ!

これを機に老後に備えて身の回りを整理し始めたので、捨てるものがとても多くなりました。思い切ってどんどん捨てています。

たとえば本については、美術全集はもったいない気がしたものの、大好きな画家クレーとモジリアニーと東山魁夷と私の絵の先生の画集以外はBook Offに出しました。大人向きの文学や大切な童話の本の一部は大学病院の患者用図書室に寄付しました。病気で苦しみむ子供たちの心に、愛の心を運んでくれることでしょうか?

引越し荷物の分別をしていて、今更のように人間の中に潜む物欲を感じます。

生きるために必要じゃないものが、家の中にいかにたくさんあることか。

めったに使わないとわかっていても、なかなか処分できないものがあります。

物入れの隅でひっそり眠っていた高級品の双眼鏡を二つ、日本の野生動物保護団体に寄付しました。もうアフリカサファリに行くこともないでしょうし。

早速日本からケニヤの動物保護団体に送って下さったそうです。

これで野生動物の命を守るのに、微力ながらも応援できたことでしょうか?

これから先に人生を、どう送るべきか?引っ越したらゆっくりと考えることにしましょう。さてさて、古いマンションが売れるかしら?ドキドキ

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2009年1月24日 (土)

心から言葉が流れない

なかなか言葉が心から流れてこない・・・

パソコンに向かっても、気持ちをあらわすPicturebloga2言葉を見つけられないというか、心が何かで塞がってしまっている感じがして、なかなかブログに書き込みができない。


父が亡くなって
2ヶ月半が過ぎている・・・。

父の死を通じて、自分の今後の人生について、あれこれ思案をし始めている。

人間はいつ死ぬかわからない!最後をキチンと締めくくらなくてはいけない。そのためには、そろそろ死への準備を始めなくては!


さて・・・何から始めようかしら?


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日前まで北国にいて、純白の雪の世界の中で母と二人で過ごしていたが、今は埼玉の自宅に戻り札幌への引越し準備をしている。

いざ具体的に引越し準備が進むと、住み慣れた都会を離れる少しのさびしさが心に芽生え始める。新しい土地での生活にもいささかの不安があって、心が思いがけず揺れている。

白樺花粉症も怖い!昨年春、散々の目にあっているので。

「父と約束したのに!両親二人の面倒を見るって」

人間って、時に急に自分中心的になるものだ!と・・・大きく息を吸って、再び引越しの荷物整理を始めたりする私。

友人たちへメールを書きたいと思うのに、実際にはパソコンに向かっても、指が動かない。というか、心の扉がなかなか開かない。感情が少しフリーズしているようだ。


父の死による、軽い鬱状態なのかもしれない。

頭では、今やらなければならないことを十二分に理解しているのに、心が動かない感じ。

エネルギー不足?

今だったら、欝で悩む人の気持ち・心の重さ苦しみを、もっとわかってあげられるかもしれない・・・と思う。

さっき、ちょっとピアノを弾いてみたら、少しだけ心がやわらかくなって、言葉が少しずつ出始めている。音楽って、不思議な力を持っている・・・。

こんな気持の時、何をしたら少しは心にエネルギーが湧くのか?今は、それを知る大切な時間であると感じている。もしいい方法が見つかれば、鬱に悩む友人たちにも教えてあがられるし・・・。と思いながら、今の鬱っぽい状態を、もう1人の自分が見つめている。Picturebloga1

さて・・・世の中は、不況の真っ只中。

若い人から年配までのたくさんの人々がどんどんリストラされ、企業の倒産やら吸収合併やらが起こり、富んだ人と貧しい人の格差が広がり・・・日本の国の先の見通しも暗い。

貧しい老人や病んだ人々が、無慈悲に切り捨てられる世の中。


いまだほとんど解決されていない年金問題や、次々と閉鎖する病院。


若者の心も傷つきおかしくなっていて「急に切れてしまう!」若者が増えている。


世界に目をやると、内戦・戦争を始めとして飢饉や災害などさまざまの要因によって、たくさんの人々が苦しみもがいている。一方、たくさんの富を手にしている少数派の人々もいる!なぜ富をもっと拡散分配できないのか?


ああー
ため息をつくことばかり・・・

野生動物たちにとっても、今はとても棲みづらい世の中。

日本国内を見ても、殺人事件を始めとして多くの口にもしたくない醜悪な事件が、日々あふれている。あまりに残虐な事件が増えているので、少しくらいではさして驚かなくなっている私たち。

と・・・今は心がわずかなことでも揺れ動き、しかもマイナスのイメージにばかり心が向いてしまう。


ああー


こんな暗い内容の文章をブログに載せるなんて?と思い悩む。

でも・・・えい やっと!

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2008年12月18日 (木)

父の哀しみ

父が逝ってから、6週間あまりが過ぎた。
私は、突然40年振りに北国の住人となり、窓の外を白い雪がヒラヒラ舞い落ちるのを、そして家々の周りが日々銀世界に変わっていくのを、不思議な感慨の中で眺めている・・・。

実家の父のパソコンとプリンターで、父の永眠を知らせる喪中の葉書を印刷するなんて、まるで思いもしなかった。
その父は、まだ札幌医大の病理学教室の地下の一室で同じ志を持った仲間と一緒に、静かに永遠の眠りに就いている・・・。Pictureblog1y_2

数日前、実家のお部屋の整理をしていて、小さな宝石入れの箱を見つけた。
中を開けてみると、ティッシュにくるまれて何かが入っていた。そっと開いてみると、小さなお骨のかけらみたいなものが目に入った。母に聞いたところ「それは、お父さんのお母さんの遺骨のかけらなの。お父さんから、自分が死んだらこの骨を自分の骨壺に一緒に入れて欲しいと頼まれていたの」とのこと。
それを聞いて、私の目はみるみる涙であふれてしまった。

父が亡くなる前、担当医に見せて頂いた検査データから父の死が近いことを知っていた私は、毎日病院へ通い出来るだけ父といろいろな話をするようにしていた。父の子供の頃からの思い出話を中心に、軍隊へ入って予想外の出世をした話やら、母との結婚前後の話やら・・・。


一番話しておきたかったことは、父の実母のことだった。

父が5歳の時、父の両親が離婚をしている。しかし憎みあっての離婚ではなくて、父の実母が二人目の女の子を産んだ後に体を壊したせいらしい。
本州から北海道へ渡って開拓魂を発揮して大いに成功を収めた私の祖父が、同郷の娘をお嫁さんにすべく写真見合いでの結婚をしたのだった。
しかしお嬢さん暮らしだった祖母にとって、北海道での生活(農業と牧場)は、あまりにも厳しすぎて病気になってしまったのだ。

離婚にまで至るには、さらに祖父を含め周りの家族の労りの気持ちも足りなかったようだ。当時は、離婚の際に長男を連れて出るわけにはいかなかった。

「4歳位の頃だったかな?病弱だった母親が妹を背負って悲しそうな顔で『さようなら』って言ったので『どうして?』って聞いたけど母親は何も答えなかったんだ。その時幼かったお父さんは、祖父さんの背中におぶさっていたのだけれども『何でもないよ!何でもないよ!』と祖父さんが言うばかりだった。でもその時は、何のことかさっぱりわからなかったんだ。母親と妹とはその時以来、会えなくなったんだよ」

父の近所の親戚の話によると、父はその日から毎日、家のそばを走っていた線路の脇に、一人淋しそうに佇んでいたそうだ。
「そこで何をしているの?」と問うと「お母さんと妹が汽車に乗って帰ってくるのを待っているんだ」と答えたらしい。
しかし、父はこの悲しい記憶を、自分の中から消し去っていて全く覚えていない。

その別れから20年あまりが過ぎ、父は若くして結婚をして既に2児の父親になっていた。たぶん、家庭の暖かさに餓えていたのかも知れない。幸い結婚相手の両親(つまり私の母方の祖父母)が心優しくて、父を実の息子同様に思い愛情を注いでくれたので、父も実母のいなかった寂しさを少しは埋めることができたのだろう。


どのようにして捜し出したのかわからないが、父は
25歳の時に実の母親と妹の居場所を突き止め、二人に会いに行ったそうだ。
「母親は、離婚当時まだ若かったし綺麗だったので、3人の子持ちの人と再婚していたんだ。再婚先で3人子供を産んでいたよ。母親に会っても、不思議な気分がしてあまり感動が湧かなかった」

当時は、出戻りは形見が狭く、すぐに再婚することが多かったようだ。けれども自分の子供は再婚先に連れていけなかったらしく、父の妹は実母の妹夫婦の養女になって、そこで育てられたとのこと。父は実母に会った直後に、その妹にも20年ぶりで会ったとのこと。

そして父はその後、実母に会いに行くことはなかった。おそらく、母親の微妙な立場を考慮してのことだったかもしれない。
父が二度目に実母に会ったのは、それから何十年かたった実母の葬儀の場。
まわりの家族が私の父の気持ちを思って、最後に実母の遺骨を抱かせてくれたそうだ。その際、密かに母親の遺骨のかけらをそっとティシューペーパーにくるんで、大事に家に持ち帰ったらしい。

私が目にしたのは、その時の遺骨のかけら。
父は、せめて亡くなってからでいいから、あの世で母親と共に暮らしたいと願ったのだろう。今は、心おきなく母親に精一杯甘えていることだろうか?

口に出してはほとんど実母のことを、語らなかった父。でも亡くなる数日前には、その実母の話を初めてしてくれた父。
さようならって、その時母親が言ったんだ・・・」と。

その実母と私は、姿形がとてもよく似ているらしい。たまたま出逢う機会があった実母の子供達が私を見て「君は、君のお祖母さんの若い頃にそっくりだよ」と驚いていた。そんな意味で、私の存在は少しは父の慰めになっていたのかもしれない。

父が亡くなって初めて知った、実母に対する父の熱い思慕の気持ち!

幼かった日の父の哀しみ・寂しさを思って、今も涙が止まらなくなる・・・。

今、父は5歳の子供の心に戻って、心ゆくまで実母に思い切り甘えているのだろうか?

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